「主従」に「つながり」を観る

ただいま「つながり」の「考察」をしています。
 
前回のブログでは、
戦国武将の大谷吉継石田三成の、命をも超越した「友情」を挙げました。
 
この2人の「友情」は、
読む人の「心」を揺さぶるお話ですし、
戦国豆知識として他の方に話すにも良質な題材です。
ご存じない方は、是非私の過去ブログでチェックしてみて下さい。
(過去ブログ:大谷吉継と石田三成
 
さて今回は、命をも超越した「つながり」ということで、
「主従」に観る「つながり」を「考察」したいと思います。
 
今回観るのは、大谷吉継と、側近の湯淺五助との間の「つながり」です。
大谷吉継の「人となり」がどのようなものだったかは、前回のブログ記事で紹介しました。
この前回ブログ記事の最後に掲載した写真が、
大谷吉継の墓(右)と、側近の湯淺五助の墓(左)です。

 
関ヶ原の合戦において、
湯淺五助は、
ライ病を煩ってほとんど目が見えなくなっていた大谷吉継の目となって
戦況を逐一伝えていました。
しかし奮戦空しく抵抗する術がなくなった大谷吉継は、
湯淺五助にこう伝えたのです。
「私は腹を切るので、介錯を頼む。
 首は敵に見つからないよう、誰も来ない場所に埋めてくれ。」
 
湯淺五助は、大谷吉継の言葉に従い、関ヶ原の地に吉継の首を埋め隠しました。
これにより、吉継の首は東軍側に発見されることはありませんでした。
その後、湯淺五助は東軍に討ち入りますが、藤堂高虎に捕らわれてしまいます。
その時五助は、主人の首の在処を藤堂高虎に正直に伝えて供養を頼んだ上で、
藤堂高虎に討たれたのだそうです。
敵ながらに感心した藤堂は、家康からの詰問にも決して吉継の首の所在を口外せず、
合戦後約束通り「大谷吉継の墓」を、五助から聞いた地に建てたとされています。
 
大谷吉継と湯淺五助の「つながり」に、
藤堂高虎も感ずるところがあったのでしょう。
人間が求める真の「つながり」をそこに観たのかもしれません。
 
この主従という関係における「つながり」。
時にこの「つながり」は、「命」をも超越してきます。
 
ここには、どのような要素があるのか?
人間性に惚れる」という要素があるのではないかなと、私は考えます。
湯淺五助は、大谷吉継人間性に惚れたからこそ、
「命」を賭してでもその「つながり」に殉じたのかなと考える次第です。
 
この観点からの「つながり」を得るためには、
人間性に惚れる」人を見つける必要があります。
もしくは、自分が「惚れられる」人間性を有するように努力するか。
 
どちらも難しそうだなと感じます。
 
ただ、どちらかと言うと、
自分が「惚れられる」人間性を有するようにする方が難しいでしょう。
まず、自分はそんな優れた人間性を持っていないし、
その人間性を仮に持てたとしても、
そこに真っ直ぐに惚れてくれる人を見つけることは縁頼みになります。
 
それよりは、「人間性に惚れる」人を見つけることの方が、まだ楽そうです。
「この人のこういう部分には、惚れられる。」ということを常に感じるようにして、
人と接していけば、いつか「惚れられる」人と出会えるはずです。
 
人間性に惚れていない」人と、真の「つながり」を持つことは多分できない。
まずは、「惚れる」ことが必要かなと考える次第です。
 
さて最後に、嘘か誠か不思議なエピソードを紹介します。
(引用元:関ヶ原観光Web

関ケ原合戦のその夜、大谷居城の越前・敦賀城では妻たちが月見をしていました。

その時、庭の木陰で悲しげな声が聞こえてきました。

物陰から覗くと百人以上の男女によって、非常に格式高い葬送が行われていました。

急いでその場所を詮索させましたが消え失せてしまい、

これは狐狸の仕業に違いないと話していた矢先、

「この不思議な出来事はいずれわかる」と叫び声が聞こえました。

のちにその夜大谷が自害していたと判明し一同はとても驚いたそうです。
 
昔の人がこの話を聴いて語り継いだということは、
大谷吉継の「人間性」に、皆「惚れていた」ということなんでしょうね。