「人生」の「後半戦」を生きる

先日『「人生」の「前半戦」と「後半戦」』というブログを描きました。
今まで42年間生きてきて、体得した話です。
多分、若い人には見えづらいこと。
だからこそ、今「苦しみ」の中にいる人、特に若い人達に伝えたいと想い、描きました。
「人生」との向き合い方の話です。
 
そのブログの中で私は、「人生」には「前半戦」と「後半戦」があると描きました。
 
「前半戦」は、自分に与えられたテストの問題用紙を読んでいる時期です。
 
「所与」という言葉があります。
デジタル大辞泉によりますと、以下のような意味です。
「他から与えられること。また、そのもの。
 特に、解決されるべき問題の前提として与えられたもの。」
私の言う「前半戦」は、まさにこの「所与」そのものです。
私達の「人生」において、「他から与えられたもの」はたくさんあります。

  • 生まれた環境(生まれた国、生まれた家庭)
  • 生まれ持った容姿
  • 生まれ持った資質・才能(努力できる才能を含む)
  • 生まれ持ったセンス
  • 生まれ持った欲望のバランス・本能(例えば食欲の強い赤ちゃんとそうでない赤ちゃん)

 
これらの「所与」に飲まれて、「前半戦」が展開するのです。
「前半戦」は、ただただ映像を見せられる時期となります。
「時計仕掛けのオレンジ」という映画を観た方はいるでしょうか?
あの映画で、
主人公を矯正(洗脳)させるために、
主人公に無理矢理映像を見せるというシーンがあります。
その時のやり方が強烈で、
主人公の頭を固定して瞬きできないようにまぶたも固定されて、
目が乾燥しないように目薬を与えられながら、映像をひたすら見せられるのです。
「うわぁ、こんなことをやられたらイヤだなぁ・・」という感想とともに、
このシーンはなぜか私の中に強烈に記憶として残っています。
もうここまで来ると、「拷問」ですね。
 
「人生」の「前半戦」も、人によっては「拷問」になっています。
「前半戦」で楽しい映像を見られた人は、幸い。
「前半戦」で見たくもない映像を見せられ続けた人は、
それを「拷問」と受け取っても差し支えないと思います。
 
しかし「人生」には、「後半戦」があります。
「後半戦」では、頭の固定具が外され、
自分の観たいものを観に行くことができるようになるのです。
 
今私は「人生」の「後半戦」に入っていると実感しています。
例えば、今度のゴールデンウィークには、
これとこれとこれを「やりたい」というヴィジョンが明確にあるのです。
 
その「やりたい」ことには、
それをやれば、より自分の観たい映像を観に行けるだろうという算段があります。
テレビやゲームのように、他者の垂れ流す映像を見るのでなく、
自分の観たい自分だけの映像を観るために、自分の時間や「人生」を使っていくのです。
 
「幸せ」とは何か?
この「人生」を体感型アトラクションと捉えたとき、
自分の「体験」したい自分だけの「体験」をすることが、「幸せ」だと思いませんか?
 
私は「人とつながる体験」をしたいので、
そのための「投資」をゴールデンウィークでするつもりです。
5日間あるゴールデンウィークを、どのように使っていくのか今計画をしています。
 
さて、私が「後半戦」に入ったのは、42歳になってからですが、
「前半戦」から「後半戦」に切り替わる時期は、大体いつ頃なのでしょうか?
 
その答えは、この「人生」が「前半戦」と「後半戦」に分かれることを知ったその時。
・・・だと、私は考えます。
 
ですから、この文章を読んでいるあなたの「後半戦」は、
今この瞬間から始まっているかもしれない訳です。
 
また「後半戦」に入ったことを知る術(すべ)も、あります。
「時間がもったいない」と感じるようになったら、もう「後半戦」です。
その感覚があるときには、「時間」を使うという認識ができあがっています。
「前半戦」は、「時間」は「経過する」もの。
「後半戦」は、「時間」は「使う」ものなのです。
 
ただ「前半戦」のテスト問題が難しければ難しいほど、
「後半戦」に移る時期が遅れる傾向はあります。
それは、難しい問題を読み解くのに時間がかかるからです。
しかしその分、「後半戦」の解答は、芸術点の高いものとなります。
それは、涙が出るほど素敵で美しい解答です。
 
前回のブログにも描きましたが、「後半戦」の解答には「×」はありません。
なぜなら、あなたのテスト問題を読んでいるのは、あなた一人だけ。
あなたの出した答えが、そのままあなたの「人生」の模範解答となるのです。
あなたのテスト問題を読んだこともない人があなたに「ああだ、こうだ」言ったとしても、
参考程度に留めておきましょう。
 
ですので、思う存分「後半戦」で自身の渾身の解答を書き綴って欲しいと思う次第です。
しかし、唯一不正解があります。
それは、白紙解答です。
 
「人生」の解答用紙は「時間」なのですが、
この「時間」に答えを埋めていかなければ、それはゼロ点になってしまいます。
というか、まだ答えを書き始めていないので、
「後半戦」が始まっていない状態です。
 
残念なことに、「前半戦」だけで「人生」を終えてしまう人は少なくないと思います。
 
 でも、そんなの悔しいじゃないですか?
 
「前半戦」が苦しければ苦しいほど、
「後半戦」に渾身の解答を書き綴ってやるべきなのです。

そして「人生」のテスト問題が難しければ難しいほど、
その出した解答は、人類に寄与すると私は考えます。
 
その人の行動で直接的に「幸せ」になる人もいるでしょう。
今の情報化社会では、その人の生き様がネットでシェアされて、
誰かの「苦しみ」を救うヒントになるかもしれません。
 
いずれにしても、「前半戦」に苦しんだあなたが紡ぎ出す模範解答は、
必ず人類を進化させると私は信じるのです。
 
事実、奴隷制の廃止や基本的人権の構築等、人類は進化してきました。
それは、過去の多くの「前半戦」に苦しんだ人々の解答が、
現代まで引き継がれているからなのです。
 
さあ、今こそ私と一緒に「人生」の「後半戦」に臨みましょう。