「世界」は、「謎解き」?

私は、人間は以下の3つから構成されると考えています。

「本能・欲望(Gene)」
「心・自我(Self)」
「外部情報・価値観(Meme)」

(「本能・欲望(Gene)」と「外部情報・価値観(Meme)」について詳しくは、
 過去ブログ「ジーン(Gene)とミーム(Meme)−あり続けるもの−」をご覧下さい。)
 
3者それぞれが、自分を操縦する操縦者になり得ますが、
「幸せ」な状態とは、「心・自我(Self)」が操縦者となっている状態です。
「心・自我(Self)」が、他2者と協調して自身の望む方向に向かって生きることが、
「幸せ」なのだと、私は考えます。
 
少し脱線です。
ジーン」と「ミーム」でネット検索したら、
岡田斗司夫さんのブログに辿りつき、
岡田斗司夫さんも人間は「ジーン」と「ミーム」で構成されているという論を提唱していました。

岡田斗司夫さんのブログ
【特集】人生の意味。これ以上の定義が出来る人がいたら出て来いっ!

人間の構成要素に「セルフ」が抜けているので、微妙に私と考えが違いますが、
同じようなコトを考えている人がいるんだなと、少し嬉しい発見でした。
 
さて、今回のテーマに参りましょう。
今回のテーマは、「世界をどう観るか」です。
 
前述の通り私は、
「心・自我(Self)」が自分の操縦者となっている状態を「幸せ」だと考えています。
 
そして操縦するためには、操縦者が「世界」を観ないといけない訳です。
例えば、「外部情報・価値観(Meme)」が「世界」を観て、
「心・自我(Self)」が運転をするという二人羽織のようなことはあり得ません。
 
「心・自我(Self)」が自分を操縦するためには、
まず「心・自我(Self)」がありのままに「世界」を観ることが必要なのです。
 
それでは先に、「心・自我(Self)」以外が「世界」を観ている場合を考えてみましょう。
(1)「本能・欲望(Gene)」が「世界」を観ている状態
 「欲望」で「世界」を観ている状態。
 美味しいレストランで何を食べるか、メニューを見て悩んでいるとき。
 ナンパ目的の人が、路上を通る人の容姿や体を見ているとき。
 いじめっ子が、いじめられっ子を見ているとき。
(2)「外部情報・価値観(Meme)」が「世界」を観ている状態
 「外部の価値観」で「世界」を観ている状態。
 図鑑を読んで、見知らぬ世界の動物たちに想いを馳せるとき。
 他者の第三者に対する評価を聞いて、その第三者のことをイメージするとき。
 戦時中の日本のように、会ってもいない米国人を鬼畜米英と捉えるとき。
 
美味しいレストランや図鑑の例を観ればわかるように、
「心・自我(Self)」以外の2者を全否定するつもりはありません。
「本能・欲望(Gene)」と「外部情報・価値観(Meme)」は、
一蓮托生の同居人ではありますが、別に悪の存在でも善の存在でもないのです。
しかし3者それぞれに異なる「目的」がありますから、
「心・自我(Self)」がしっかり主導権を握って、
自身の「目的」である「幸せ」を追う必要があります。
 
さて、「心・自我(Self)」が「世界」を観るとは、どういう状態なのか?
それは「自由」です。
それぞれ個々の「心・自我(Self)」の「勝手」なのだと、私は考えます。
 
ここで私が、
「心・自我(Self)」が「世界」を観るとはこういう状態だ!と言ってしまったら、
すでにそれ自体が「外部情報・価値観(Meme)」です。
その言葉を鵜呑みにして「世界」を観ようとした場合、
あなたを操縦しているのは、結局「外部情報・価値観(Meme)」になってしまいます。
 
「外部情報・価値観(Meme)」を「心・自我(Self)」のものにするためには、
「腑に落ちる」ということが必須です。
そして「腑に落ちる」ためには、「考察」や「直感」が必要になります。
また「腑に落ちる」とは、どういうことかと言いますと、
『ああこれは「心・自我(Self)」の目的(すなわち「幸せ」)と合致するよね』
という感覚です。
あくまで自分の「幸せ」を、基準点にします。
 
「本能・欲望(Gene)」を「心・自我(Self)」に取り込む場合も、同様です。
例えば、レストランで美味しい食事を採ることが、
自分の「幸せ」に合致するなら、
「本能・欲望(Gene)」の意見を採用するべきと考えます。
それが、「本能・欲望(Gene)」と共存している姿です。
 
という訳で、
個々人にオススメしたい「心・自我(Self)」の「世界」の見方というものを、
私は持ち合わせていません。
しかし、私個人の腑に落ちている「世界」の見方というものは存在します。
 
私の「世界」の見方は、スフィンクスと旅人の関係です。
スフィンクスの神話を知っていますか?
スフィンクスは、通りかかる旅人に「謎かけ」をし、
それに答えられなかった旅人を喰ってしまうというお話です。
自分の命がかかっているので、当然旅人はその謎に真剣に答えようとします。
 
私にとって、「世界」はスフィンクスです。
「世界」は私達人間に、「謎かけ」をしてきています。
「えっ!そんな謎かけがあったっけ?」と思う人が多いでしょう。
しかし、「世界」や「人生」は、「謎」だらけだと私は思います。
というか、ほとんど「謎」で構成されていると言っても過言ではないのです。
考えてもみて下さい。
私達は、なんの説明もなしに、ある時いつの間にかこの世界に存在しました。
この時点で、「???」です。
私なんかは、説明書を探したくなります。
 
そして、いつの間にか存在したのは「私」だけではないのです。
「この世界」も「私」の誕生と共に、突如として私の目の前に現れました。
もう「はぁ?」って感じです。
なんで上には、空があるの?なんで下には、地面や石や草があるの?
そもそも上とか下とかって、何?
 
こうやって考えていくと、
「世界」は私に「謎かけ」をしているとしか考えられません。

「世界」は、私に問いかけてくるのです。
「人生とは何だ?」「世界とは何だ?」「おまえの生きる目的は何だ?」
 
おっと、この「謎かけ」には真剣に「考察」しないといけませんよ。
なにしろ、この「謎かけ」に答えられないと、
その人は「世界」に喰われてしまうのですから。
 
是非真剣に、あなたも「本当の生きる意味」を見つけてみて下さい。
 
グッド・ラック!