「実力」は見せるものでなく、発揮するもの

自分の「実力」というものは、
実際に「環境」に飛び込んでみないとわからないものです。
そういう意味では、ニートの方はもったいない。
飛び込むまでは、自分の本当の「実力」がわからないから。
 
また自分の「実力」というものは、他者に聞くものでもありません。
自分の「実力」は、飛び込んでみて自分で実感するものです。
 
そして「実力」とは、人に見せるものでもありません。
あくまで自分にもらった「gift」ですから、
「実力」は「世界」に向けて発揮するために使うのです。
 
さて私も様々な職場環境を体験し、
自分の「実力」というものが見えてきました。
できないところや弱いところもたくさんありますが、
この部分は人と比べると強いんだなぁ、と感じる部分が浮かび上がってきたのです。
 
自分の「実力」がわかると、「人生」の舵取りがしやすくなります。
自分に合った「仕事」というものもわかってくるでしょう。
 
「実力」の使い方を、誤ってはいけません。
「実力」は、人に見せるものではないです。
人に見せて「賞賛」や「評価」を得ようとすることは、
スーパーカーを買って、その車を使いこなさず、
もっぱら人に自慢することに使っているのと、なんら変わりがありません。
 
そうではなくて、スーパーカーを買ったなら、アクセルを踏み込むのです。
そのマシンの本当の「実力」を限界まで解放してあげます。
 
では実際に仕事の場面では、どうするか?
「実力」で「評価」を釣ろうとすることは、誤りです。
 
あなたの「実力」は、他者の目からは見えません。
他者から見えるのは、あなた自身の姿だけなのです。
 
逆に「実力」を、他者に見せてはいけないとも言えます。
もしあなたを嫌う人がいたら、
その見せた「実力」をこれ見よがしに否定して踏みつぶすでしょう。
 
目に見えるものを実際に踏みつぶすと、周囲の目がありますが、
周囲には見えずあなたにだけ見える「実力」ならば、
それは格好の餌食になってしまいます。
 
結局スーパーカーを見せびらかそうとしても、
誰かに10円玉で傷つけられるのがオチなのです。
 
そうではなくて、「実力」は単にその性能を解放するために使います。
10円玉の傷なんて気にしない。
スーパーカーのアクセルをベタ踏みするのです。
 
具体的には、目の前に広がる仕事で、
自分の「実力」に相応しいものを、より積極的に片っ端からこなしていく。
仕事というものは、まだ誰にも属していないものがたくさん転がっています。
そういった仕事は自ら手を挙げて、上司に相談して、自分で解決していく。
 
そうやって、自分の「実力」あるいはマシンに相応しい仕事の環境を創ってやるのです。
舗装された道が相応しのか?それともダートの道が相応しいのか?
 
私は、多分ダートの車です。
ちゃんとした綺麗な道を走ることは、他のマシンに任せます。
私は、決められたことを素早く正確にこなすことが苦手です。
しかし、まだ未舗装のダートの道なら、そこは私のテリトリー。
 
私が考える、私の「実力」は、以下のような感じです。
(a)やり方がわからない仕事のやり方を調査する
(b)やり方が確定していない仕事の道筋をつける
(c)エクセル等のシステムを使った計数能力
(d)エクセル等でポイントを効果的に伝達する表現能力
(e)全体を見て弱いところや「やばい」ところを察知する能力
 
(e)なんかは、仕事に飛び込んでみて、初めて見えた「実力」です。
自分にとって普通にできることだったので、
特に能力とも思っていなかったのですが、
他の人と相対的に比べて、これは自分の「実力」だと気づきました。
 
「実力」が見えてきたのなら、後は発揮するのみです。
四の五の言わずに、黙ってアクセルをベタ踏みします。
もちろん職場の上司に相談しながら、
自分が「実力」に合う仕事を取りにいくのです。
 
F1レーサーは、自分が有名であることで喜びを得ているのではないと思います。
あくまで、レース場で自分の「実力」を最大限に発揮できることに、
喜びを感じているのだと、私は考えるのです。
 
自分に合わないコースを無理矢理に走っても、
とても疲れるし、エンジンも損傷していきます。
しかし自分に合うコースなら、アクセルをベタ踏みしても、
疲れずに「幸せ」に、その道をばく進することができると想うのです。