種族内闘争

今、ノーベル賞学者コンラート・ローレンツ博士の、
「攻撃 悪の自然誌」(みすず書房)という書籍を読んでいます。
 
博士は、近代動物行動学を確立した人物として知られており、
私達に身近な話で言えば、
ハイイロガンのヒナが卵から生まれて最初に見た動くものを親と思い込む
「すりこみ」現象の発見者です。
 
動物行動学自体非常に面白いのですが、
私は、人間というものを理解する上で、
同じ「生命」の雛形を有している他の動物の行動を見ることが、
非常に重要だと考えています。
 
これは2つの観点からです。
1つは、文明や文化を持った複雑な人間を紐解こうとしても、
それはなかなか難しいということ。
多少なりとも単純化された他の「生命」の営みを見ることで、
ほどける結び目が増えてくると思います。
もう1つは、考察する私自身も人間であるため、
なかなか人間を俯瞰することができないということです。
他の動物の行動なら、自分の主観的な価値観を超越して、
客観的にその本質を理解できると考えています。
 
さて、今回の書籍はまだ読み途中なのですが、
興味深い話が出ていたので、
ご紹介したいと思う次第です。
 
それは、セイランというキジ科に分類される鳥類。
このセイランのオスは、非常に変わった姿をしています。
メスに求愛する際に尾の羽を広げてメスに見せるのですが、
この羽が著しく巨大なのです。

 
この巨大な羽はたたむと、こんな感じになります。

 
当然この羽は、捕食者のいる世界で生きるのには邪魔です。
 
しかしセイランの種族は、
代々尾の羽が大きいものが種族内で勝ち上がり、
子孫を残してきました。
 
弱肉強食の種族間の競合では不都合な性質が、
種族内の競争では有利に働き、
結果、種としては生き残るのに危うい方向に進化してしまった訳です。
コンラート・ローレンツ博士は、「進化の袋小路」と表現しています。
種族の生き残りには全く貢献しない無意味な競争を、
セイランは今後も続けてしまうのです。
 
さて、人類も種族内闘争を盛んに行っている種族です。
しかしその競争の結果、
人類という種にとって、
本当に有効な自然淘汰が行われているのかなと不安になります。
 
人類にとって天敵なんてもういないんだから、
後は種族内闘争で「自然淘汰」が行われればいいじゃない?という声もありそうですが、
その結果「生命」本来の美しさや方向性が失われないか、私は心配です。
 
例えば今の社会において、
生産性の高い個体の競争力が強いようになっているかと言うと、
必ずしもそうでないようにも思います。
それよりも、コミュニケーション力や政治力が強い個体の方が有利でしょうね。
別にそれが、よいとも悪いとも判断はつきかねますが。
 
人類がセイランのオスを見て感じるあの違和感。
おそらくセイラン自身は感じることができないでしょう。
同様に人類に、ものすごく歪で醜い「淘汰」が生じていたとしても、
人間自身はそれを感じることができないと思います。
 
その歪さは、
宇宙人のような人類の外の存在が現れて指摘してくれるまで見えてこないかも。
 
人類が、「進化の袋小路」に入っていないことを祈る次第です。