仕事を持つ魚「ホンソメワケベラ」の責任

前回のブログ記事で、「責任」についての考察を描きました。
 
単独で生きているならいざ知らず、
社会や組織の中で「恩恵」を受けながら生きている場合、
集団に対して何らかの役割を担う必要がある訳です。
私はこれを、「責任」と定義しました。
 
「責任」と「搾取」は別です。
あくまで「責任」は、
「恩恵」を受けている対象に対して提供する貢献意識であり、
「恩恵」を被っていない対象に対しては「責任」が成立しないと考えます。
一方で「恩恵」を受けているのにも関わらず、
その「恩恵」を当然と考え、
貢献意識を持とうとしない姿勢は「無責任」だと言えるでしょう。
 
さて「責任」は、人間だけについて回るものではありません。
動物の世界でも、「責任」を観察可能です。
 
過去ブログで、ホンソメワケベラという魚を紹介しました。
魚の世界で成立する「信頼」関係
 
ホンソメワケベラは、大きな魚の他の掃除をして生計を立てています。
他の魚の体表についている寄生虫を補食しているのです。
掃除をしてもらっている側の魚も、
掃除をしやすいように、口やエラブタを大きく開けて協力します。
肉食の大きな魚も、ホンソメワケベラを食べてしまうことはないようです。

 
さて、このホンソメワケベラ。
スイスのヌーシャテル大学のブシャリ博士らの研究によって、
面白い生態が観察されています。
他者との関係性から、自ら不利益を選択する姿です。
 
実はホンソメワケベラは、寄生虫をあまり好みません。
彼らは、掃除先の魚が分泌する粘液を食べる方が好きなのです。
 
しかし粘液ばかり食べていると、
掃除先の大きな魚は彼らを見捨てて泳ぎ去ってしまいます。
ですから彼らは、あまり好きではない寄生虫もしっかりと食べて掃除するのです。
 
ここに、彼らが仕事をしている上での「責任」を観察することができます。
 
ところで彼らは、夫婦仲がとてもよい魚です。
しばしば雌雄2匹がつがいとなって大きな魚を掃除しています。
 
実は、1匹で掃除しているときと、2匹で掃除しているときでは、
彼らの「責任」の果たし度合いが変わるのです。
 
想像つくかもしれませんが、
2匹で掃除しているときの方が、
それぞれ寄生虫を食べる割合が増えました。
つがいの相方から「恩恵」を受けている彼らは、
1匹でいるよりも仕事に打ち込み、
しっかりとその「責任」を果たそうとしているのです。
 
一方で、上記過去ブログで紹介しているように、
ホンソメワケベラのふりをして、
大きな魚の肉を食いちぎって逃げるニセクロスギンポという不届きな魚もいます。
自然界が美談だけでないのは確かですが、
少なくともホンソメワケベラが今まで生き残って来れたのは、
大きな魚やつがいのパートナーへの「責任」を果たし、
「信頼」を獲得してきたからではないでしょうか?
 
セクロスギンポのようなズルい魚は、
ホンソメワケベラが積み上げた「信頼」に依存して生きながらえているに過ぎません。
 
つまり私達「生命」にとって、
「責任」を果たして「信頼」を獲得するというスキームは、
繁栄していくためにプラスの影響を与える行動様式だと言えるでしょう。
 
そこで私は自問自答します。
はたして私は、「恩恵」を頂いている先にちゃんと「責任」を果たしているだろうか?と。
 
このように考えていくと、
私の中で「責任」の輪郭が見えてきます。
 
例えば、私は地球の生態系から「恩恵」を受けています。
ですから私は、環境保護に対して「責任」意識を持つべきなのだと思うのです。
もっと身近な「恩恵」をくれている先も、たくさんあります。
私は、それぞれに対して「責任」を持つべきでしょう。
 
「生命」の長い長い進化の中で生じた「責任」という概念。
これをないがしろにすれば、
何か大切なサイクルが破綻してしまうような気がします。