「ジーン」と「ミーム」

以前「利己的遺伝子」の説明をさせていただいた際、
「遺伝子」は自身のコピーをたくさん造るために、
私たち一人ひとりを乗り物として利用しているというお話をしました。
私たちは馬車の馬の方なので、遺伝子から「アメとムチ」を与えられ操作されます。
「アメ」とは「快楽」、「ムチ」とは「苦痛」や「恐怖」です。
 
しかし、この馬車の馬は機械ではないので「心」があります。
「心」を持つこの馬は、はたして自身の生活を「幸せ」と感じるでしょうか?
 
まず、「ムチ」ばかりもらっていたら当然「幸せ」ではないでしょう。
では、「アメ」をもらい続ければ「幸せ」なのか?
「アメ」は舐めていればいつかなくなるもの。
「アメ」がなくなったときに、やはり「幸せ」ではなくなります。
反動で、「アメ」がなくなることに「恐怖」や「苦痛」すら覚えるでしょう。
そもそも、永遠に「アメ」を舐め続ける訳にはいきません。
どんなに恵まれた環境の人でも、いつかは老いるし病気になるし死ぬのです。
結局、「遺伝子」のような第三者に、いいように利用されているうちは、
「幸せ」なんてつかめないと思います。
 
それでは、この哀れな馬車の馬が「幸せ」になるためには、
一体どうしたらよいのでしょうか?
そのためには、「自分」から「偽の自分」を取り外し
「真の自分」の存在に気づく必要があります。
そして、「真の自分」が欲していることを捉えるのです。
 
ここまでは、過去ブログ「人生を幸せに生きるための仮説(おまけ)」に書いたとおりです。
 
ところで、リチャード・ドーキンス博士の「利己的遺伝子」では、
「遺伝子(ジーン)」の他に、もう一つ「偽の自分」を提唱しています。
それが「ミーム」です。
 
ミーム」とは、「心の遺伝子」もしくは「意伝子」と呼ばれているもの。
「遺伝子(ジーン)」と同じように、私たちを使って「自己を複製」する存在です。
簡単に説明すると、「ミーム」とは自己複製する「情報」と言えます。
例えば、災害時のデマ、口コミ、流行、宗教、常識、ネット上に形成される価値観。
 
「遺伝子(ジーン)」は性交によって、自己複製しますが、
ミーム」は、口頭や文字やネット上のコミュニケーションで、複製され伝播します。
 
例えば、宗教を例にとるとわかりやすいです。
キリスト教」は、地球上で最も成功している「ミーム」であるのに対し、
同じヨーロッパ地域にかつて存在した「ゾロアスター教」という「ミーム」は、
キリスト教」という「ミーム」に駆逐されました。
今は、「キリスト教」という「ミーム」と「イスラム教」という「ミーム」が争っている訳です。

繰り返しますが、「ミーム」は「人」を使って、
どんどん自己の複製を世界に繁殖させることが目的です。
まさに「遺伝子(ジーン)」と同じあり方の存在だと思いませんか?
ミーム」という概念で解析すると、文化等の人間社会の営みがよくわかるそうです。
ミーム学」という学問があるほど、「ミーム」は多くの人に研究されています。
 
ミーム」について、詳しくはウィキペディアをご覧ください。
ウィキペディアを見ると、まずその内容量の多さに驚かれると思います。
それほど、調査するに値する対象と捉えられているのです。
 
ミーム」という存在のイメージは、何となく把握できたでしょうか?
今回のブログで私が言いたいのは、
「幸せ」に生きるためには、「遺伝子(ジーン)」によるコントロールだけでなく、
ミーム」によるコントロールも排除する必要があるということです。
 
宗教による自爆テロがあるように、
ミーム」も自己を複製して繁殖するためには、個の犠牲など全く意に介しません。
ミーム」に従っていても、私たち個人の本当の「幸せ」など実現しないのです。
ミーム」にとって、私たちはただただ利用対象に過ぎない訳ですから。
 
という訳で、整理しましょう。
私たちが幸せになるためには、
まず、「自分」から2つの「偽の自分」を取り外すことが必要です。
「偽の自分」の一つは、「遺伝子(ジーン)」。
本能の企みを喝破し、本能のコントロールから解放されましょう。
もう一つの「偽の自分」は、「意伝子ミーム)」。
外部情報に依存することをやめ、特に自身の価値観の形成は自身で行うようにしましょう。
 
ところで、この私のブログも「ミーム」です。
宜しければ、このブログも肥やしにして頂き、考えて考えて考え抜いてみてください。
 
私の考えでは、「幸せの青い鳥」は外界にはいません。
内側を探すのです。
「心そのもの」が「幸せの青い鳥」。
「真の自分」は、何を欲していますか?