「言霊」を論理的に解明してみました

私の職業は、コンサルタントです。
ですので、「会社」を改善するためには何が必要か、ということをよく考えます。
それには、やはり「人」を動かす必要があるというのが、私の意見です。
 
では、「人」を動かすためにはどうしたらよいでしょうか?
そのためには、「人」の「心」を動かす必要があります。
 
もちろん、上司命令や脅しで一時的に「人」を動かすことは可能です。
しかしそうやって作られた「動き」は、長期的に継続することはありません。
「納得」せずに・・下手すれば「反発」を感じながら、行っている「動き」なので、
やらなければいけない事情が解消すれば、その「動き」は即座に捨て去られる訳です。
また、強制された「動き」は嫌々行われるため形式的になってしまい、
狙った効果もほとんど得られません。
 
結局「人」を動かすのなら、
ちゃんと相手に「よし、やろう」と「納得」して動いてもらう必要がある訳です。
ところが、この「納得して動いてもらう」というのが難しい。
なぜならば、相手の「心」を動かす必要があるからです。
 
他者の「心」。
全ての人々がコントロールしたいと願い、試み、
しかし、いつか自身の「コントロール外」のものだと気づくもの。
 
どんなに富や権力や名誉を得た者であっても、
他者の「心」をコントロールすることはできなかった。
そう、宗教の神にだって不可能なのです。
神は全知全能と言っておきながら、
例えば聖書には神の言うことを聴かずに
洪水等で殺された人が何万人もいると記述されています。
 
あたかも別宇宙の存在のように、
何人たりとも決して他者の「心」に触れることはできない。
私たちが意のままにコントロールできるものは「モノ」だけなのです。
 
結局「心」は、「心」自身にしか動かすことができません。
 
では、他者の「心」を動かすためには、どうすればよいでしょうか?
その答えは、結局「北風と太陽」の話に行き着くと思います。
 
「北風」が旅人の「心」を動かしていないのは明確ですね?
では、「太陽」はどうかと言うと、
「太陽」も旅人の「心」をマントを脱ぐようにコントロールしている訳ではありません。
「太陽」がやったことは、旅人に「熱」を提供しただけなのです。
そして、その熱で暑くなった旅人は自発的にマントを脱ぎました。
「熱」という「エネルギー」が「与え」られ、旅人の「心」が動いたのです。
 
私は、こう考えます。
他者の「心」には、直接触れることができませんが、
「エネルギー」を「与える」ことはできるのではないかと。
もっと言えば、「心」と「心」が互いに影響し合えるのは、
「エネルギー」のみなのではないかと。
 
さて、「エネルギー」には運ぶ「媒体」が必要です。
「モノ」でない「エネルギー」は、単独で移動できません。
では、「心」に「エネルギー」を運ぶ「媒体」とは何でしょうか?
様々あると思いますが、その最も大きな「媒体」が「言葉」なのだと思います。
 
そう、単なる「音波」の集合体である「言葉」に、「意味」が込められ、
他者の「心」の活性を高める「エネルギー」を伝播する能力が備わるのです。
 
「世界」は「物理的世界」と「精神的世界」の二つにわかれるのだと、私は考えます。
なぜなら、二つの「世界」を支配する法則は全く別の様態だから。
 
「精神的世界」における「エネルギー」とは、
「モノ」では触れることすらできない「心」を動かす力。
そして、その「エネルギー」を運ぶ重要な媒体が「言葉」である訳です。
実際「言葉」は、物理的現象では不可能な作用を「世界」に実現させます。
 
ですので「精神的世界」において、
この「心」の「エネルギー」を宿す「言葉」という存在は、有象無象の中で別格なのです。
 
「言葉」には「言霊」が宿る。
 
この「言霊」とは、
「精神的世界」における「エネルギー」なのではないかなと、私は考えるのです。
 
Support Wikipedia