「素直」の「本質」

私は、「素直」というと松下幸之助さんを思い出します。
松下幸之助さんは、「素直な心」を非常に重視されていました。
詳しくは是非、PHP研究所のホームページで紹介されている
松下幸之助さんの著作「素直な心になるために」から抜粋した
「素直な心」の有様の様々な角度からの「考察」をお読み下さい。
今日のブログの趣旨は、このページを紹介して終わりです。
このページをお読み頂くことで、
あなたの「心」の水面に様々な波紋が広がることを私は保証します。
松下幸之助さんは、
全ての人が「素直な心」を持つことが肝要であるとおっしゃっているのです。
「素直」とは、何も新入社員や部下のためだけにある言葉ではありません。
経営者や政治家のような偉い人だって備える必要がある、
松下幸之助さん曰く「真理に通じる心」なのです。
 
という訳で、今回の本題は上記に紹介したリンク先にあります。
ですので、以降の文章は、おまけの文章としてお読み下さい。
 
上記ページの「素直な心の内容10ヶ条」では、
「素直」を以下10の内容で説明しています。
「無私」「謙虚」「寛容」「実相が見える」「道理」
「すべてに学ぶ」「融通を利かす」「平常心」「価値を知る」「慈悲」
 
私の「心」の水面に最も大きな波紋を広げた言葉が「実相が見える」でした。
この説明に触れた時に、
松下幸之助さんのおっしゃる「素直な心」の「本質」の一端を垣間見た気がするのです。
 
「素直」とは、世間一般では若輩者に使われます。
「素直」な生徒や「素直」な部下が喜ばれるし、求められる。
しかし、そのように目下の者に「素直」を要求する人の中で、
ご自身を度外視していらっしゃる目上の方が非常に多いように感じます。
 
さて、私の感じた「素直な心」の「本質」とは、
文字通り「素直」とは、「心」の「綺麗さ」であるということです。
カメラのレンズをイメージして下さい。
カメラのレンズは放置していると、
埃が積もり外の世界をありのままに写す力が弱まります。
「心」も、カメラのレンズのように時が経つと埃がたまってくる。
そうして、世界をありのままに観ることができなくなる。
「実相が見える」という説明で私が思い当たったのが、このイメージです。
 
もともと「心」は、おろしたてのレンズのように、無垢で「綺麗」なのだと思います。
「素直」とは、「心」の「綺麗さ」。
だから、子どもほど、また若輩者ほど、「素直」でありやすい。
しかし、年を取ると「心」に様々な埃がつもり、「心」は「素直」でいられなくなる。
 
ですから、実は「素直さ」とは、
年を取れば取るほど、あるいは役職が上がれば上がるほど、
求められる資質であると私は思うのです。
 
「心」から「素直さ」が失われると、様々な弊害が出てきます。
それは、上記の10ヶ条をひっくり返した有様になるということです。
すなわち、
「エゴに囚われ、傲慢になり、嫌いな人や物事を許すことができず、物事の本質が見えず、
 道理をねじ曲げ、他から学ぶこともできず、融通が利かず、常に感情的であり、
 人や物事の価値を自身の経験則もしくは感情のみで判断し、冷徹で優しくない人物」。
また、上記ホームページにも「素直な心のない場合の弊害10ヶ条」という項目があります。
この10か条を読んで、多くの人は思い当たる部分があるのではないでしょうか?
 
 はたして、私の「心」は、どの程度「素直」でありましょうか?
 また、あなたの「心」は、どの程度「素直」でありましょうか?
 
若い頃に「素直」でいるということと、年を経てから「素直」でいるということには、
その「意味」に大きな差があります。
若い頃には、「努めて」「素直」でいようと「意思」しなくても、
自身の中にまだ多く残っている「素直」な部分を、表に出すようにすればよい訳です。
しかし年を経ると、自身の「心」を見つめて、
「心」の「埃」を除去する保全作業をしなければ、「心」は「素直」でいられません。
 
ですので、年を取ってから「心」を「素直」に保つためには、
上記ページの「素直な心を養うための実践10ヵ条」にも記載がありますが、
自身の「心」の埃のたまり具合を知るための「自己観照」が必要になるのです。
 
「素直」の一要素である「謙虚」でないことを描いてしまいますが、
私自身は、割とまだ「心」に埃がたまっていないように感じています。
だからこそ、「素直な心の内容10ヶ条」には、
直感的に「心」が頷けたのではないかなと思う次第です。
その実感を頼りに私の考えを描きますが、
「素直」であることは「幸せ」に直結する資質であります。
素直な心の効用10ヶ条」にもある通りです。
 
しかし、とかく「素直」であるということは、
「他者によいように使われる」という「心の綺麗な愚か者」という捉え方を
暗にされている面があります。
だから、年を取ったら賢く「老獪」になったり、
肩書き等の権力を手に入れて「偉く」ならなければならないと。
年を取っても「素直」のままでいることは「愚か者」のすることであると、
世間では考えられている節があるように感じる次第です。
 
昨今、いじめや体罰で、
教育委員会や校長や先生といった「偉い」人々の言動に注目が集まっています。
体罰を行う先生は、
生徒に対して「「素直」になって自分の指導を受け入れろ」と、
体罰を行っているのでしょう。
 
しかし、生徒の「自殺」という形で、不祥事が表に出た時に、
「素直」な気持ちで遺族に謝罪し、表に出て自身の非を認めるような先生が、
どれほどいますかね?
 
今こそ、「素直」な「大人」。
「すなおとな」を広める契機です。
「すなおとな」はかっこいい!「すなおとな」は「幸せ」になれる!
「すなおとな」は成功する!「すなおとな」は健康になれる!
 
ちょっと悪ふざけが過ぎましたが、
上記の効用は松下幸之助さんの「素直な心の効用10ヶ条」にも、
同様なことが書かれています。
「すなおとな」は、松下幸之助さんがおっしゃられている進むべき「道」なのです。
 
これからは、若い人の「素直」ではなく、大人の「素直」が、
より価値として重んじられる時代がやってくると、私はここに予見いたします。
 
「モノ」を重視する「形」の世紀から、「心」を重視する「本質」の世紀へ。
この根本的で大きな流れを、あなたは感じることができますか?
 
Support Wikipedia