「プア充」でフィリピン台風を支援

私は、この1枚の写真を見て涙を流しました。

 
東日本大震災の際の、フィリピンの方からの応援写真です。
「にほんには あしたがある」
 
311の時に、日本は世界中から暖かい支援を頂きましたが、
フィリピンからも多くの支援を頂いています。
上記は、西ネグロス州、バゴ市、サガイ市、シライ市から、あわせて55万ペソ、
日本円にして約103万円の支援金拠出を頂いた際の記事の写真です。
フィリピンの2011年の平均年収が248,182(日本円で57万円)ペソですから、
こちらの地域だけで平均年収の2倍の金額を頂いたことになります。
 
詳しくは、財団法人OISKAの東日本大震災支援紹介ページをご覧下さい。
 
上記のページには、他にも「心」の暖まる写真が掲載されています。
 
手作りの募金箱

 
バスから寄付する地元の高校生

 
もちろんフィリピン政府からも東日本大震災の際には、
マニュエル・ロペス駐日フィリピン大使が
「フィリピンが被災した際には常に日本が最初に援助の手を差し伸べてくれたことから、
フィリピンとしては、できる限りの支援と協力を行う用意がある」として、
多くの援助を頂きました。
 
そして今。
ご存じのとおりフィリピンでは、
台風30号によって200万人に上る被災者の方が悲しみに暮れています。
亡くなった方も、1万人に上るとの見方が出ています。
 
以下は、CNNのニュースページからの引用です。

自分の腕から波にさらわれた子どもの死を嘆く母親、自殺も考えたという父親、被災地にとどまって生活を立て直そうとする親子――。200万人を超す被災者は、悲惨な現実と向き合うことを迫られている。

1週間前まで自宅があった場所で、食器を拾って洗い続ける女性がいた。夫と6人の子どもをなくし、子どものうち3人は遺体が見つかった。誰も助けに来てくれないと女性は言い、「私の子どもたちが腐っていく」とつぶやいた。


私は微力ながら、フィリピンの人達の力になりたいと願いました。
東日本大震災の時のお礼をしなければならないと強く感じました。
 
実は私は、今訳あって資金難です。
吉野家の牛丼280円やオリジン弁当のノリ弁290円が私の普段の食事を支えています。
まあでも、「モノ」はなくても日々「一生懸命」に「幸せ」に生きている次第です。
 
しかしそういう状況では、
フィリピンに募金をしたくてもなかなかそう簡単にポイッと捻出できる資金もなく、
より「プア充」を極めて、まとまったお金を支援したいなと思っています。
 
フィリピンの方へ。
「There is tomorrow for Philippines.」
 
亡くなった皆様のご冥福を心よりお祈りします。
微力ながら応援もさせて頂きます。
場所は遠く離れていても、心は共に。