ダンゴムシに「心」はあるのか?

「世界」とは何だろう?「生命」とは何だろう?「心」とは何だろう?
私の頭の中には、常にこういった「疑問」が存在しています。
 
この常駐している「疑問」は私の「アンテナ」の役割を果たし、
情報キャッチの感度を強く高めるのです。
 
例えば書店に行った時に、この「アンテナ」は役立ちます。
書店の本棚を眺めていると、
これは読んでおきたいという本が私の「意識」に飛び込んでくるのです。
 
皆さんは、そんな「アンテナ」を持っていますか?
 
テレビから得るような受け身の知識でなく、
書籍から得るような自らの「心」が欲する知識は、
私達の「人生」を深化させる「鍵」となるのです。
「アンテナ」が錆びてしまうと、「人生」は堂々巡りになる恐れがあります。
「なんで?」「あれは何?」と親に質問をしまくっていた子どもの頃のように、
「好奇心」をいくつになっても持ち続けていれば「心」の「成長」は止まらないのです。
一方、常識とかテレビ等のマス情報だけを受け身で受信している場合、
「心」は、染められることはあれ、あるべき姿へと「成長」することは難しいと感じます。
  
さてある日、私の「アンテナ」が書店の本棚から見つけ出した書籍は、
こんなタイトルの本でした。
ダンゴムシに心はあるのか?」(森山徹著:PHPサイエンスワールド新書)
 
早速購入して読んでみると、とても興味深い内容でした。
この本は、「心」とは何だろう?という私の「考察」をより深化させてくれました。
 
詳しくは、是非書籍を購入して読んで欲しいと思いますが、
結論から話しますと、「ダンゴムシにも心がある」ことを納得させてくれる内容でした。
 
著書の森山さんは、「心」というものを、
機械的に起こる生物の行動を抑制させる働きにあると見ています。
これはどういうことかと言うと、私の中のイメージではこうです。
脚気(かっけ)の検査で膝の下あたりを叩く時に出る足が跳ね上がる動作は、
反射的で機械的なものですが、
この自動的に起こる動作を抑制しようとした時、
そこには「意思」あるいは「心」が関与していると考えることができます。
 
上記のようなイメージで「心」を捉えると、
「人」に「心」があるのは明確であると言えます。
しかし、はたしてダンゴムシにも同様に「心」はあるのでしょうか?
これを、森山さんは実験で確認したのです。
 
基本、ダンゴムシや昆虫などの生物は、プログラムされたような機械的な動きをします。
例えば、ジガバチという土に巣を掘る蜂は、
麻酔をしたイモムシを自身の巣穴に運び込む時に、
巣穴の近くに来たら、一旦獲物を離れ巣穴の中を確認し、それから獲物を巣に入れます。
ここで、ジガバチが巣穴の中を確認している間に、
研究者が獲物のイモムシを離れた場所に移動させると、どうなるか?
ジガバチは、巣穴の近くに獲物を再度移動させ、また巣穴の中を確認するのです。
巣穴確認中に、もう一度獲物を遠くに移動させると、
また同じ動作をして3回目の点検を行います。
つまり、「獲物を巣穴の近くに運ぶ」→「獲物を離れ巣穴を点検する」という一連の動作は、
プログラムされたように機械的に行われていると考えられるのです。
ジガバチにとっては、「心配だったから巣穴を点検した」という「動機」は存在せず、
「巣穴の近くに獲物を持ってきた」という条件を単に満たしたから、
次の行動として「巣穴の点検」を機械的に行ったに過ぎない訳ですね。
 
このような機械的に動く小さな「生命」達ですが、
もし、決められた動きから外れるような「予想外の行動」をしたら、
そこには「心」が関与していると考えていいかもしれません。
 
森山さんは、ダンゴムシからこの「予想外の行動」を引き出したのです。
「予想外の行動」は、彼らダンゴムシを未知の状況に置くことで観察されました。
書籍では、いろいろな実験が紹介されていますが、
中でも印象深かったのは、
本来水を嫌うダンゴムシが水に飛び込んで泳ぐ行動を見せた実験です。
ダンゴムシには、「交替性転向」という生き残る上で便利な行動パターンがあります。
これは、進んでいて障害物にぶつかったら、
前回曲がった方向とは逆の方向に曲がるというものです。
例えば最初に右に曲がったら、次は左に曲がり、更にその次には右に曲がります。
こういう動き方をすると、天敵からは逃げやすくなるでしょう。
もし同じ方向に曲がり続けていたら、
また天敵のところに戻ってくるリスクが高まってしまいますから。
 
ダンゴムシは水も苦手で、水溜まりからもどんどん遠ざかろうとするのですが、
この「交替性転向」を駆使しても、
一向に水から離れられない状況を人工的につくってやった場合、
彼らは機械のように永遠に「交替性転向」を続けるのではなく、
ある時「意を決した」かのように水に飛び込んで向こう岸に泳ごうとする個体が現れるのです。
 
ダンゴムシの仲間には、
最近水族館で人気となっている「ダイオウグソクムシ」という深海に住む種類がいます。
「交代性転向」を駆使しても一向に水から遠ざかれない「未知の環境」に遭遇した時、
ダンゴムシは進化の過程で「潜在」させた「泳ぐ」という行動を呼び覚ましたのではないかと、
森山さんは書籍で述べています。
 
こういった実験結果を読んで、私はダンゴムシにも「心」があることを感じました。
そして、「世界」や「生命」に対する私の仮説を更に深化させることができたのです。
 
このダンゴムシの実験で見てきたように、
「未知の環境」で「今までにない行動」をとることを「心」の働きであると捉えると、
「心」すなわち「生命」を「完全燃焼」させる方法も見えてきます。
すなわち、常に新たなチャレンジに身を置き、
パターン化されていない「新手の行動」を発現させることが、
最も美しい「生命」の炎の燃やし方なのです。
 
私は1月から転職し、現在「未知の環境」にいます。
その環境は、今までの行動パターンでは乗り越えられないことも多そうです。
そうした時に「新手の行動」を引き出して実行することこそが、
「生命」の真骨頂であると、私は考えます。
 
ダンゴムシだって、本能的に恐れている「水」に飛び込むのです。
私も、今までできなかったことだって何だってやってやろうと想います。
 
「モノ」と違い、「心」には無限の可能性があるのです。
「モノ」化して、自らの「成長」を止めないように、
私は「一生懸命」に「生命」の「炎」を燃やし続けます。