シャドウにご用心

「こういうタイプの人はどうしても受け入れられないんだよなぁ」とか
「こういうことをされると無性に腹が立つんだよ」とか
多くの人には、
なぜかはわからないけど無性に腹が立つタイプや行いといったものがあるものです。
 
かく言う私も、
皆が一生懸命頑張っているのに、
一人だけ平気で怠けているようなタイプの人はダメです。
本当に理由もなく、見ているだけでムカムカと無性に腹が立ってきます。
自分は、あまり感情の起伏はない方だと思っているのですが、
こういうタイプの人に出会うと何故か感情が表に出やすくなります。
 
こういった、自分にとってどうしてもダメなタイプ。
心理学の世界では「シャドウ」と呼ばれています。
ユングが提唱した概念です。
 
この「シャドウ」とはどういったものか、心理学用語集から引用します。
 
 シャドウ(影)とは、個人において生きてこなかったもうひとつの側面であり、
 意識にとって許容できない自分の暗黒面のこと。
 ユング,C.G.の提唱した元型のひとつ。
 意識において、ある自己イメージが選択されると、
 それに対立するイメージは無意識に抑圧される。
 そして、生理的に受け付けない人物という形で夢に登場したり、
 現実の人物(同性である場合が多い)に投影されたりする。
 しかしシャドウを否定することは自分自身を否定することであり、
 潜在的な可能性を捨て去ることである。
 自分の中のシャドウと向き合い対決することが、
 個性化の第一歩である。
  
つまり、自分がどうしても許容できない人物のイメージというのは、
実は、自分の中で無意識に抑圧しているまたは禁止している
自分自身の人格の一つの側面に他ならないのです。
子供の頃に親からきつく禁止されたり、
その人格のせいで過去に痛い目にあっていたり、
そういった心の痛みを伴う経験により、
自分自身の一部の人格はシャドウとしてタブーとなっていきます。
 
そして、このタブーとなった人格は心の奥底に隠されます。
自分の目の届かないところに。
 
しかし、現実世界でタブーの人格を持つ人が目の前に現れてしまった時、
心は過剰な防衛反応を示します。
理由もなく、その人を拒絶し攻撃するのです。
 
過去に、私もある人に対して感情的にひどいことを言ってしまった経験があります。
次の日には、その人に謝罪をしたものの、
あろうことか「自分が感情的に怒ったのは正当なことである」と
信じ込んでしまっていました。
 
しかし、このシャドウの原理を知った今、
感情的に相手を傷つけたのは自分であり、
間違いなく自分が悪であったことをようやく理解できるようになったのです。
 
上記のシャドウの説明文にもありますが、
心の中のシャドウは放置していてはいけない代物です。
シャドウは罪のない人々を傷つけようとする衝動を生み出します。
傷つけられた人は、理不尽に感じることはあれ、
なぜそれほど感情的に攻撃されるのか理解することはできません。
攻撃の理由は傷つけられた人にあるのではなく、
傷つけた人の心のうちにあるからです。
 
そして、傷つけられた人は敵になることも多いです。
理性的に言葉の理論で「ここはこうなのではないか?」と言われるのとは違い、
シャドウによる攻撃は、その人の価値を否定するために行われる暴力だからです。
 
また、自分の中のシャドウを拒絶したままの状態では、
自身の心の成長の可能性が狭まってしまいます。
自分の手でシャドウを助けあげることで初めて、
その人の心の本来のポテンシャルが全て解放される訳です。
例えば、可愛くていわゆるぶりっ子なタイプの女性を
理由もなく拒絶してしまう女性がいたとします。
もしかしたら、彼女は子供の頃、甘えるということが許されず、
可愛い女の子の部分を封印せざるを得なかったのかもしれません。
そのまま、このシャドウを放置していては、
彼女は一生、人にうまく甘えることができない人生を送ってしまうことになります。
 
自身のシャドウのイメージを持つ人と出会った時に膨れ上がる
相手を拒絶もしくは排除したいという負の感情。
それをグッとこらえて、
「その衝動は誤ったものである」という認識を持つことが大事なのです。
 
私も、自身のシャドウと向き合っていきたいと思います。
皆が頑張っている中、一人だけ怠けている人がいたとしても、
相手を傷つける感情的な言葉をぶつけるのではなく、
理性的に言葉で
「周りの皆も頑張っているから、一緒に○○しようよ」と話してみようと思っています。
 
自分自身にも拒絶されて心の奥底に追いやられ怯えている か弱い存在のシャドウ。
手を差し伸べて、そろそろ彼を救出してやろうかなと思います。