嫌われ松子の一生 「人生」の「裏面」

嫌われ松子の一生」という作品をご存じでしょうか?
 
小説や映画、ドラマにもなっていますが、
私は映画を観ました。
ウィキペディアは、こちら
 
小説は、120万部発行されたようです。
この原作を読んで感銘を受けたという中島哲也監督によって映画化されました。
 
映画化やドラマ化までされたので、
この作品に触れた方も多いのではないでしょうか?
 
この作品は、好き嫌いがとても別れます。
それは、ささいな不運で中学教師の職を追われた女性が、
転落の人生を転げ落ちていく内容のストーリーだからです。
全ての流れが裏目裏目に流れている人生を見せられて、
多くの人がそこから目を背けたくなる気持ちも十分に理解できます。
 
本当に、救いようのない転落です。
私達が頑張って生きようとする上で、
こんな「人生」だけは送ってはいけないという、
忌避しようとする「人生」のイメージがそこに濃縮されています。
この主人公の松子さんは、最後は独りぼっち、
精神にも異常を来し、誰にも看取られることもなく死んでいくのです。
 
私は、この映画を観て感動しました。
とても共感できる部分が多かったからです。
悪とは言えない普通の人間である主人公が、
しかし自身の不器用さや不運によって、
転落していくところに、私は「心」を奪われました。
 
そうだ。
自分にとっても、運命はこんな感じだと。
 
不器用→失敗→そこに不運が重なる
 
今までの私の「人生」は、こんな感じです。
運命は、悪意と理不尽に満ちています。
 
私は、松子さんにシンパシーを感じたのです。
 
そしてもう一つ、「そうだ。本当にひどい。」と、
「人生」に文句を言いたくなることがあります。

それは、第三者は、松子さんを本当にクズのような人間だと扱うのです。
多くの人は、その人の中身を見ようともせず、その人をクズだと判断します。
その心冷える残酷さに、本人達は気づいていないでしょうが・・・。
 
私も風評で、人から無視されることがあります。
とても悲しいです。
 
私は、決して風評で人を判断することはしないと「心」に決めています。
ちゃんと、自分の目で見てその人を判断するんだと。
 
そんな「人生」の「裏面」を表現した「嫌われ松子の一生」という作品は、
本当に異色です。
物語は、少し持ち上がることもありますが、その後絶対に大きく落とされ、
松子が死ぬ直前には、本当に見ているだけで辛い陰鬱な描写が続きます。
しかし、「裏面」を生きている私には、本当に共感を感じたのです。
 
そして、そういう「裏面」を理解できる人にしかわからないであろう、
感動するテーマがこの作品に込められています。
 
それは、どんな過酷な「人生」にあっても、真っ直ぐに生きていくということです。
自己保身のために松子を陥れた人も登場します。
しかし、その人は松子よりも上等な「人生」を生きたはずです。
 
松子は、確かに不器用ですが、本当に真っ直ぐに生きました。
誤解と不運に翻弄されながら、追い込まれどんどん精神的にも衰弱しながらも、
それでも最後まで生きたのです。
 
端から見たら、本当に目を背けたくなるような「生き様」。
しかし、それでも彼女は真っ直ぐに生きました。
不器用も不運も、それは本人にとってもう本当に仕方ない要素なのです。
しかし、それでも彼女は「人」として大切なものを手放さずに生きました。
不器用と不運と誤解の中で、
誰にも理解されない彼女の「人生」を、彼女は一人で終えるのです。
 
私は映画を観終わった後、涙を流しました。
彼女の運命への共感と、
不器用だからこそ彼女が決して手放さなかった「人」としての大切な何かに。
 
私の「人生」は、これからどうなるかわかりません。
「人生」の「表(おもて)面」を通ろうが、「裏面」を通ろうが、
「人」は「人」です。
どんな環境を生きるにしても、私は「人」として大切な何かを保持しようとしながら、
生き続けようと想います。
 
そして、このブログを描き続けようと想うのです。
 
松子さんの一生は、小説家、映画化、ドラマ化されて、
多くの人の「心」に、その「人生」を通じて「人」として大切な何かを伝えました。
そして、私のような人間に勇気を与えてくれたのです。
それは、決してハッピーエンドじゃない。
だけど、「そうだ、どんな「人生」でもこれが大切なんだ」ということを教えられたのです。
 
私はこれからも、自分の人生を綴っていきます。
「裏面」を生きる人間として、「人」とは何かをお伝えしていく所存です。