「受け入れる覚悟」

最近は仕事がとても忙しく、なかなかブログを更新できませんでした。
ただ、最近は少しずつ余裕を持てるようになってきました。
 
仕事量が緩和されたのではありません。
「受け入れる覚悟」を手に入れたからです。
 
前回の「ブログ」でもお話ししましたが、
私は、「幸せ」のための重要な要素を見つけました。
 
このブログで考察し元々主張していた「幸せ」の要素は、「与える精神」です。
自身の「損得」を度外視して「与える」ことで、
相対的な「世界」から脱却し、
自身の絶対的な価値観の世界に入ることができると考えています。
実際に私は与えてきて、その「幸せ」を実感してもいるのです。
 
しかし「与える精神」だけでは、理不尽な「世界」からの攻撃を防ぎきれません。
生きるために為さなければならない様々のこと、悪意ある他者、理不尽な事故。
どんなに「与える精神」を纏っていても、過酷な現実の「苦しみ」には無抵抗なのです。
 
「与える精神」が「幸せ」のための「武器」ならば、
過酷な「現実世界」の攻撃を受けきる「防具」が必要なのではないか?
「現実世界」の攻撃に疲弊しきった私は書店で平積みされている本に引き寄せられて、
ある日一冊の本に出逢いました。
「覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰サンクチュアリ出版)」という本です。
詳しい説明は前回の「ブログ」に譲りますが、
30年の人生を生ききり、
その人生で日本を大きく変貌させるエネルギーを発した吉田松陰の「覚悟」に痺れました。
彼の言葉が、「現実世界」に負けそうになっている私の胸にグサグサ刺さってくるのです。
 
是非現実世界に疲弊している人は、この本を読んでみて下さい。
「心」に「火」がつきますよ。
 
さて、私が吉田松陰の言葉から得た気づきは「覚悟」です。
人生を「生ききる覚悟」。
 
「世界」は誰にとっても理不尽であります。
どんなに成功した人間であっても、「苦しみ」からは逃れられないのです。
例えば、成功しても上には上がいるでしょうし、
成功すればするほど妬まれ「理不尽」なことに会うリスクが高まります。
そして、いざ「理不尽」に見舞われると、失うものが大きい分、「苦しみ」も人一倍。
更に言えば、どんなに成功した人間でも、最後は病気になって苦しんで死ぬのです。
 
こう考えると、どんなに「幸せ」に向かって努力しようと、
むしろ成功すればするほど、「現実世界」からの攻撃に脆弱になってしまうと言えます。
 
必要なのは「武器」ではなくて、
理不尽な「現実世界」からの攻撃を無効化する「防具」です。
 
その「防具」とは「覚悟」。
吉田松陰のように、自身の行動の結果を「全てよし」とする「覚悟」なのです。
どんな苦しいタスクを抱えていても、どんな酷い悪意にさらされていても、
どんな理不尽な不運に見舞われていても、どんなに愚かなミスをしてしまっても、
それが全て自身の「人生」であると、受け入れる。肯定する。
 
自分に用意された「人生」は「味わう」ためにあるものと「心」し、
全ての結果を味わい尽くす。
そうすると、過酷な「現実世界」の攻撃は不思議と無力化されます。
 
私も、最近まで仕事に追われて、
時間が足りないあまりお客様に十分な仕事を提供できないことに、
焦り疲弊していましたが、
今はそれもこれも含めて自分の「人生」であると捉えています。
「失敗」の「結果」も、自分の大切な「人生」なのです。
 
「開き直り」では、ありません。
その証拠に、仕事に対して以前よりも前向きに取り組むことができています。
「仕事」への「嫌」な感じが消えて、
自分のできる範囲で「がっぷり4つ」で取り組むことができているのです。
 
そうして、これで私は「幸せ」になれると実感しました。
もう「人生」に対する「不安」はありません。
例えば、老後の心配もしません。
老後に酷いことが起こっても、
それが私の「人生」ということで味わえる自信があります。
もし、老後に孤独死したとしても、
その「死」という「苦しみ」さえも納得して受け入れることができる。
 
うん、ようやく地に足が着いた感じがします。
これからは「不安」なき「心」で、
どんどん「与える精神」で「世界」に働きかけて生くつもりです。
これからの「人生」は、きっと楽しいと思います。
 
「私」と「世界」の長い長い主導権争いは、
どうやら「私」がイニシアチブを握るという形で決着がつきそうです。