「おまめ」に「優しさ」を見る

子どもの頃、「鬼ごっこ」をしたときを思い出してください。
 
「鬼ごっこ」するにはまだ早い小さな子どもが「入れて!」と言ってきました。
あなたは、そういう時どうしていたでしょうか?
 
私は東京出身ですが、『じゃあ、「おまめ」ね!』と言って、
その子を「おまめ」と称し、
ゲームには参加できないものの、仲間に入ることを許可していました。
 
その子はゲームには参加できなくても、
嬉しそうに年上の子どもたちと一緒に走り回っていたものです。
 
ところで「おまめ」と言っても、何のことか通じない人たちもたくさんいらっしゃると思います。
呼び方は、地域によって様々なようですね。
どういう呼び方があるか「好奇心」がある人は、是非下のアンケートサイトを訪ねてください。
アンケートサイト『鬼ごっこ』での特別待遇の呼び名
 
上記アンケートサイトによると、一番多い呼称は「ごまめ」です。
関西地方に多い呼び方みたいですね。
次に多いのが「おまめ」。
東京を始めとした関東地方に多いです。
それから、「みそっかす」や「おみそ」、「あぶらむし」なんて呼び方もあります。
 
さて、この「おまめ」という特別待遇制度。
子どもたちが生まれ持って来た「優しさ」の現れだなぁとしみじみ想う次第です。
 
実は小さな子は鬼ごっこをしたいのではないんだと思います。
そうではなくて、ただ皆の仲間に入れて欲しい訳ですね。
 
子どもは無垢だからこそ残酷だと言われることがあります。
それも一つの真実でしょう。
一方で、無垢な状態の子どもに「優しさ」が備わっているのを見るとき、
人々の「心」には最初から「優しさ」も備わっているんだなぁと想うと嬉しくなります。
人々の「心」には「優しさ」が最初から宿っているということも、また真実なのです。
 
さてこの「おまめ」を、損得や利害関係の絡む大人の世界でやると様々な軋轢が生じます。
大人の世界の「鬼ごっこ」は、「会社組織」での仕事です。
例えば、ある会社に知的障がい者の方が「入れて」と来たとします。
もちろんそういった方々を積極的に採用されている会社もありますが、
ほとんどの会社は後ろ向きの対応になるのではないでしょうか。
 
給料も発生するし、やらなければいけない「鬼ごっこ」には皆の生活もかかっているし、
子どもの頃ほど気軽に『いいよ!じゃあ、おまめね』とは言えないと思います。
 
だから国が制度を設けて、大企業に受け入れを促している訳ですが。
 
「鬼ごっこ」と「会社」を比較するに、「鬼ごっこ」は遊びで、
「会社」はある意味命を懸けてやっているという点が異なるのだとと思います。
 
・・「会社」の業績が落ちれば、家族もろとも路頭に迷うかもしれない。
・・「会社」のために、自分の大切な時間を使っている。
そういった想いがあるからこそ、足を引っ張る「おまめ」は排除される訳です。
 
大人の社会は、子供の頃ほど「楽園」じゃない。
自分や家族、「これだけは」という護るべきものがあるので、それは仕方ないんです。
 
ただ私は子どもの頃、「おまめ」が参加すると少し嬉しかったような気がします。
ごっこは勝つことが目的でなく、「一緒にはしゃぐ」ことが目的だったからなんでしょうね。
「仲間と一緒にはしゃぐ」。この楽しさは、私にはよくわかります。
 
大人の世界は、「おまめ」にとってとても辛いものです。
しかし、「おまめ」も「おまめ」なりに頑張らなければいけません。
自分の「強み」や役に立てる部分をなんとか見つけて、
それで「鬼ごっこ」に参加させてもらえるようにする。
 
不器用な私も、大人の社会においては「おまめ」です。
でもなんとか必死に頑張っています。
「鬼ごっこ」に加えてもらって、仲間と一緒にはしゃぎたいから。
 
仲間と一緒にはしゃぐこと。これを「つながり」と言うのだと想います。