「憎しみ」への処方箋

「人を呪わば穴二つ」
 
あなたは、この言葉の意味をどのように捉えていますか?
 
「人に害を為そうとするとバチが当たる」というような、
「悪事には報いがある」というふうに捉えている人が、多いのではないでしょうか?
それは実際に正しくて、
故事ことわざ辞典では、この言葉の意味を以下のように表記しています。

人を呪わば穴二つとは、人に害を与えようとすれば、
やがて自分も害を受けるようになるというたとえ。
他人に害を与えれば、必ず自分にかえってくるものである。
他人を呪い殺せば、自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、
相手と自分の分で墓穴が二つ必要になることから。

しかし私は、この言葉を少し違う意味で捉えています。
 
それは、誰かに「負の感情」を持っているそのこと自体が、
既に自身の心身を害しているという意味合いです。
そして、その「負の感情」は相手に向かわず、自分を追い詰め、
自分に直接災いをもたらします。
 
これは、自身の実体験から来るものです。
 
最初に入った会社でいじめにあった際、
そのいじめの首謀者のことを、私はとことん憎みました。
それこそ、ノイローゼになるくらいに。
 
しかし、その自分の「負の感情」が、
自分を痛めつけ、自分に災いをもたらす結果となります。
今冷静に思い返すと、
極端な物言いになってしまいますが、
まるで自分の体に火をつけて、のたうち回る焼身自殺のような状況でした。
 
「憎しみ」のような「負の感情」は、その感情を抱えているだけで、
自分の「心」の健全な運行を阻害します。
常に憎い相手のことが頭にちらつき、
そしてその妄想からストレスを再生産するのです。
相手から直接の被害がないときでも、
「心」は常に、ストレス満タンの状態となります。
 
「憎しみ」は、「心」の「毒」です。
 
また、「自分が被害者だ」と信じこみたい私は、
周囲に対して「痛い行為」もたくさんやってしまいました。
 
私の勝手に創り出した妄想世界に付き合わされるのですから、
周囲からしたら、本当にいい迷惑だったでしょう。
 
周りの反応が冷めているように感じると、私はより被害者を協調するようになりました。
当時ノイローゼになって、独り言を言ったり不可解な行動を採るようになったのも、
必死な「私は被害者」アピールだったのだと振り返る次第です。
そんなことを繰り返していたら、当然孤立します。
私は、自分で自分の首を絞めていたのです。
 
また当然「敵意」は、自分の「敵」をどんどん本当の「敵」に変えていきます。
そして直接的な意味合いでも、相手から実際の更なる被害を食らうのです。
 
ただここで強調したいことが、一つあります。
今回は、いじめの首謀者という「強い相手」への「憎しみ」や「敵意」の話ですが、
「弱い相手」に対する「負の感情」も、
同様の「毒素」が「心」に生じると私は考える次第です。
 
「嫌いな相手」を見たり、考えたりするだけでストレスが生じる状況は、
やはり「心」に「歪」がもたらされている状況であり、
建設的な方向に「心」が向かうことを阻害します。
また、「弱い相手」だからといって舐めていると痛い目にあうこともあるはずです。
世の中は、もちつもたれつ。
その「弱い相手」も、必ずあなたの足場を崩せる部分を支えています。
 
結局、「負の感情」である「憎しみ」「敵意」「見下し」は、
「心」にとって「百害あって一利なし」の「毒素」だと、私は考える次第です。
これらの感情は、あなたの「心」に必ずストレスを生み続けます。
 
では、こういった「負の感情」を起こさないようにするには、どうしたらよいか?
それは相手にちゃんと「本音」を伝えるということだと、私は思います。
 
実は、「憎しみ」や「敵意」や「見下し」は、相手の問題でなく自分の問題なのです。
 
相手に「本音」を伝えて、相手がわかってくれなくても、
それはそれで構わないと思います。
 
それよりは、
相手に「本音」を伝えられた自分に、
「誇り」を持つことができるようになることが重要です。
 
結局「憎しみ」や「敵意」や「見下し」は、
自分の「劣等感」の裏返しという側面があります。
自分に自信がないから、相手の言動に「憎しみ」や「敵意」を持つのです。
自分に自信がないから、相手を「見下し」て、
「自分が上だ」ということに囚われるのです。
 
以下に、本日のまとめを記載します。

「憎しみ」や「敵意」は「毒」である。早めに手放そう。
「毒」を中和できるのは、「自尊心」のみである。
相手への「負のベクトル」は、全て自分に跳ね返ってくる。
「憎しみ」や「敵意」に襲われたときこそ、自分を見つめて「成長」しよう。
悔しかったら、相手を睨むのでなく、自分を「成長」させるんだ。

上記は「人生」を生きる上で、結構重要な「気づき」だと私は考えます。
 
今「憎しみ」や「敵意」に、「心」が支配されている人がいましたら、
是非、上記のことを考えてみて下さい。
 
過去に「憎しみ」の「毒素」に身を焼かれた私からの、後輩達へのメッセージです。