「未知」との遭遇

 ここは天国じゃないんだ♪
 かといって地獄でもない♪
 
ザ・ブルー・ハーツの、「トレイン・トレイン」という曲の歌詞です。
 
どんな環境で生きていようと、
必ず自分と合わない人や敵対する人は現れます。
 
そういう人達と、どう対峙していくか?
逃げたり、関わりを持たないようにしていくのも、一つの手です。
 
しかしそうしようとしても、
「心」のアンテナは、苦手とする人達に無意識に向いてしまいます。
 
そういった苦手とする人に意識を向けている状態は、苦しいものです。
ですので、そういった時にはどうしたらいいのかなぁ?って考えました。
 
その「苦しみ」の正体は、
自分にはない「価値観」や「感性」という異物への
「心」の拒絶反応だと思うのです。
 
嫌いな相手や苦手な相手というのは、自分が採用していない「価値観」で動いています。
その「価値観」は自分の中で「禁じ手」としている場合も多いです。
 
想像してみてください。
自分と同じ「価値観」で動く人とは、わかり合えますよね。
信頼感や安心感も、湧くでしょう。
 
一方で、自分とは違う「価値観」で動く人は、
自分の生きてきた星とは違う星の住人であるように感じます。
生きてきた環境や持って生まれた資質が違うから、
その人は異なる「価値観」を身につけた訳です。
 
そういった自分にとっては異星人のような人達と、どう対峙していったらよいのか?
 
「自分達の星が一番素晴らしいんだ!」という驕りを捨てて、
彼らの星の文化や生活に興味を持って、それを知ろうとする必要があります。
そうすることで、彼らが何を大切にしているのかがわかるのです。
相手を憎んだり嫌ったりしている状態は、
実は相手を観ているようで全く相手を観ていません。
彼らが大切にしているものをあからさまに無視しているから、感情の対立が起こるのです。
 
そういう意味では、
「愛の反対」は「無関心」でも「憎しみ」でも、正しいような気がします。
相手を憎んでいる状態の時というのは、
相手の大切なものに無視を決めこんでいる状態なのですから。
 
どちらでも正しいけど、より正確な表現を選ぶとすると、
「愛の反対は無関心」になるのだと思います。
 
「わかり合おう」とせず、「無関心」や「無視」を決めこむことが、
様々な「苦しみ」を生むのです。
 
私は、今後そうしないように、気をつけていきたいと思います。
一方で、他者からもたらされる「苦しみ」の根源が
「無関心」や「無視」だということを理解できたので、
「無関心」や「無視」への耐性をつくることも急務です。
 
捨てる神あれば、拾う神あり
 
「縁」があって、自分に興味を持って頂ける人に、自分のアンテナを向けようと思います。
自分の苦手とする人とわかり合うのは、やはり時間が必要です。
「一刻も早く自分を観ろ」って無いものねだりするから、苦しくなってしまいます。
 
まず、自分からです。
まず自分が相手のことを観るところから始めていって、
ようやく相手も自分に目を向けてくれる。
 
そういう長い目が、必要なのです。