「言葉」と「直感」

人類が言葉を使いだした時代は、定かでありません。
ネットを調べたら、10万年前という説もあるようです。
 
人間から「言葉」を取り除いたら、どうなるんだろう?
・・って思ったことはありませんか?
 
人間が「言葉」を使えなくなったら、相当に深刻な事態が起こるはずです。
「他者と会話ができない」だけでは、済まされません。
「言葉」は、私たちの「思考」のツールにもなっているのです。
 
人の頭を除いたことがないのでわかりませんが、
何か「思考」する時には、
皆「言葉」で「思考」していると思います。
 
「言葉」を使わず「考えろ」と言われても、不可能でしょう?
 
作業をしながら、独り言を言う人がいます。
私もそうです。
これは、「思考」に「言葉」を使っている証拠。
 
私たちは「言葉」があるからこそ、いろんなことを考えることができます。
 
ただ個人差はあるかもしれませんね。
読売ジャイアンツの長嶋監督は、
言語化されていない表現で有名になっています。
「いわゆる、あれですね」とか。
ネットを調べると、
長嶋監督のこんな言葉が紹介されていました。

「球がこうスッと来るだろ」
「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」
「あとはバァッといってガーンと打つんだ」

 
長嶋監督は、「思考」に「言葉」を使っていない割合が多いのでしょうね。
私のような凡人は「言葉」なしには「思考」できないので、
長嶋監督はすごいなぁと素直に感心します。
 
テレビなどのメディアでは、長嶋監督の迷発言は面白ネタ的に取り上げられますが、
「言葉」に頼りきっている我々には、
長嶋監督の類(たぐい)まれなる思考力のすごさに気づくことができないのです。
 
さて、冒頭のテーマに戻ります。
人間から「言葉」を取り除いたら、
人間はコミュニケーションだけでなく
「思考」できない存在になってしまうのでしょうか?
 
私は、そうでないと考えます。
 
あなたも、想像してみて下さい。
「言葉」なしに、私たちはどのようなことを思うのか?
 
おそらく、非言語的な「直感」が私たちの思いを支配する。
例えば、「虫の予感」と言われるような、嫌な予感とか。
 
第6感とも言われるそういった「直感」をフル活用して、
生活するようになるはずです。
 
「言葉」がある時には、「直感」は無視されます。
私たちの頭の中は、ものすごい権威主義的で、
「言葉」化された「思考」でないと、相手にされないのです。
 
しかしこれは、どう見てもバランスが悪い。
「直感」も、我々に重要な判断材料を提供してくれているはずなのです。
 
なぜならば、長い長い生命の進化の歴史の中で鍛えられてきた機能なのですから。
 
ただ「直感」は、サバイバルのために存在するので、
保守的な傾向を有すると、私は考えます。
 
逃げなくてもよい状況なのに、臆病に逃げるスズメを見ていると、
「直感」は、「理解」という概念からは程遠い役に立たない機能と考えることもできるのです。
 
しかし、長嶋監督の例を見てもわかるように、
逆に「直感」でしかできない"離れワザ"があるかもしれません。
例えば、渡り鳥が方角を見失わずに何万キロも旅するように。
キョクアジサシという鳥は、4万キロを飛びます。
その間8ヶ月無着陸で飛び続けるのです。
 
「言葉」主体の私たちですが、
「直感」は排除すべき異物ではありません。
 
そうではなく、私たちの長い長い「生命」の歴史が生み出した賜物として、
有効活用すべきパワーだと感じる次第です。
 
人間にとっての「直感」とは、どのようなものなのか?
書籍等で、科学的に追っていきたいテーマです。