「道徳」の授業よりも「哲学」の授業を

「ちいさな哲学者たち」という映画が7月に日本で公開されました。
これは、フランスのとある幼稚園で行われている、
幼児の授業に哲学の時間を設けるという取り組みを追ったドキュメンタリー映画です。
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思えば、私たちも小学生の頃に「道徳」の授業があったと思います。
しかし私は、「道徳」の時間にどんな内容をやったか全く覚えていません。
先生達にも積極的に教えようという気がなかったように思います。
戦前の「教育勅語」のような「思想」押しつけに通じるため、
先生も少し及び腰であったのかもしれませんね。
マイケル・サンデル博士の「これからの正義の話をしよう」という書籍が流行りましたが、
世界に一つの最も正しい「正義」なんて存在しない訳です。
ですから、「道徳」の時間というのは、「思想」の押しつけという色合いがあり、
児童に強く教えるのは、あまり宜しくないのかなと思います。
 
そうではなくて、子ども達には「哲学」を教えるべきだと私は主張したいです。
大学の講義でやるような「哲学史」ではありません。
子ども達には、「自分で考える」ことを教えるべきなのです。
 
「哲学」の授業で扱うテーマはいくらでもあります。
例えば、「いじめはいけないことか?」。
各人に宿題として考えてきてもらう。
そして、その答えと理由を、次の授業のときに発表してもらう。
 
哲学なので、YesとNoが分かれるテーマも面白いでしょう。
捕鯨はやめるべきか?−その答えの理由は?」
このテーマを子ども達に考えてもらうときには、
子ども達は捕鯨の反対者の意見と賛成者の意見を両方とも調べる必要があります。
今は、インターネットがあるのですぐに調べられるでしょう。
何か疑問があったら「自分で調べる」ことも、社会で生きる上では大切な習慣です。
 
問題は、他にもいくらだって作れます。
「なぜ、環境を大切にする必要があるのか?」
原発をこれからも推進するべきか?」
「なぜ、戦争はなくならないのか?」
「なぜ、犯罪はなくならないのか?」
「なぜ、自分の命を犠牲にしてまでテロが起きるのか?」
「なぜ、たくさんの人が自殺をしているのか?」
「なぜ、世界から飢餓は消えないのか?」
「なぜ、ホームレスの方がいるのか?」
「なぜ、世界にはストリートチルドレンがいるのか?」
「お金さえあれば、人の心も含めて全て買うことができるのか?」
「幸せとは何か?」
 
世の中にインターネットができた今、情報探索のコストは飛躍的に低くなりました。
この情報化社会のご時勢なら、上記のような「哲学」の授業が可能です。
ただし、インターネットから誤った情報を持ってこないように
情報リテラシー」のスキルを高めることも併せて教えるべきでしょう。
そして、賛成者と反対者があるテーマでは、両者の意見を必ず見ることも大事です。
 
日本人の若者が政治に興味を持たなくなったのは、
ニュースや新聞を見なくなったからではありません。
「正義」自体に興味がなくなっているからなのです。
どうして「正義」に興味を持てなくなったかというと、理由は2つ。
(1)政治家や政党は、いつしか「正義」を発信しなくなったこと
   ※「板垣死すとも自由は死なず」なんて政治家は、今いませんね
(2)情報過多で、何が「正義」か若者達は考えられなくなっていること
   ※社会の「正義」を考えることは、「面倒くさいこと」「ダサいこと」と認識されています
 
何が「真」で、何が「善」で、何が「美」か?
これらを自分で考えるトレーニングは、非常に重要なことです。
なぜか?
民主主義の社会では、市民が社会の「脳」の役割を果たします。
独裁政治ではないので、政府ではなく、あくまで市民が「脳」なのです。
すなわち、私たち一人ひとりが「脳細胞」な訳です。
その「脳細胞」である私たちが、「価値観」を持たず、
何が「真」で、何が「善」で、何が「美」か、考えなくなったらどうなるでしょう?
社会は、アルツハイマーの状態になります。
社会から知性は失われ、ただただ目の前の飯を食らい続ける存在になってしまうのです。
 
もちろん、「自分で考える」ことは、社会のためだけではありません。
自分の人生を幸せに生きる上でも、「自分で考える」ことは非常に重要です。
このご時勢、社会に引かれたレールの上を盲目的に歩くことの危険性は皆さんもご存知のとおり。
社会に出てキャッチセールスに騙される若者が多いのも、「考える力」が脆弱だからです。
「自分で考える力」があれば、新興宗教にだってひっかかりません。
すなわち、外部の悪意の人間や組織に利用されることなく、
真に自分の幸せのために人生を生きることができるのです。
 
理想論を言えば、冒頭で紹介したフランスの事例のように、
幼いうちから「哲学」を学校で教えるべきだと私は考えます。
しかし、今の文部科学省がそんな大胆なことをするとは思えない。
 
だから、もしこのブログを読んでいらっしゃる方が
お子さんをお持ちのお母さんやお父さんだったら、
是非ご家庭で「哲学」的テーマを会話に取り入れて欲しいなと思います。
「思想」の押しつけではなく、「自分で考える」ことのトレーニングとして。
 
私は、子ども達がこの「哲学」的スキルを身につけることは、
その子の幸せな人生に貢献するとともに、
社会の元気を取り戻すことにつながると信じているのです。