自分で自分を「幸せ」にする方法

未だ、恐ろしいほど忙しく、
1週間ぶりにようやくブログを描く時間を確保することができました。
自分のために使える、「幸せ」で貴重な時間。
 
ブログのネタは、思いつく度にスマホにメモ書きをして結構貯まってきています。
どれについて描こうか迷いましたが、
今日はずばり、自分を「幸せ」にすることについて、
考察をしたいと思います。
 
しばらく過疎気味であったこのブログを、
縁があって読んで頂いているそこのあなたに試して欲しいことがあります。
 
それは、「今、あなた自身を幸せにして下さい」ということです。
はい、今からです。どうぞ。
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「んな、無茶な!」と思いますか?
そうです。無茶なんです。自分で自分を「幸せ」にすることは不可能なのです。
自分で自分を笑わせることができないように、
自分で自分を「幸せ」にすることもできません。
 
この超基本的なことを考慮せずに「幸せ」を探す行為は、
山に、ホエールウォッチングをしにいくようなものです。
 
それでは、自分を「幸せ」にしてくれるものとは、一体何なのでしょうか?
 
私は、その答えは「自分(=「心」)ではないもの」だと考えています。
自分ではないもの・・・
例えば、暖かな日差し、高原の涼やかな風。
例えば、子どもの笑顔、大切な人とつないだ手。
例えば、運動した後の身体の心地よさ、深く眠ったときの満足感。
例えば、誰かが奏でている素敵な音楽、誰かが書いた面白い小説。
例えば、ピンチから脱した時の安心感、「苦しみ」から解放された時の喜び。
例えば、素敵な写真を撮れた嬉しさ。いいブログを描けた時の喜び。
 
こうして見ると、世の中は「幸せ」に溢れています。
暖かな日差しなんて、意識すればいつでも感じることができますよね。
私は、遠くから小さな子どもの楽しそうな声を聴くと、「幸せ」な気持ちになります。
「ああ、幸せそうだな、よかった」って。
同じように、野良猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしているのを見ても「幸せ」です。
 
はい、ここら辺まではレベル1。享受型の「幸せ」。
これらは湯水のごとく簡単に手に入るのですが、それだけ意識しにくい「幸せ」です。
悟った人というのは、
これらだけで常に「幸せ」になれる人のことを指すのかなと私は思っています。
 
さて、少しずつ難易度の高い「幸せ」に入っていきます。
 
次は、レベル2。報酬型の「幸せ」。
運動や睡眠、入浴。
何かをすれば、自分の意思で手に入る「幸せ」。
逆に言えば、何かをしないと手に入らない「幸せ」。
ですので、「常に」得られるものではありません。
しかし、このメニューは豊富にすべきです。
ただ、人によって達成難易度に差があるものもあります。
「運動」の気持ちよさはわかっていても「運動」をする気にならない人。
「整理整頓」の気持ちよさはわかっていても「掃除」がなかなかできない人。
これらの人々(私も含む)は、
「遺伝子」の「安楽本能」に「幸せ」を阻害されているのです。
強すぎる「怠惰」というハンデから抜け出ないと、
通常の人が享受できる「幸せ」に到達できません。
焦らずに「怠惰」を少しずつ克服するとともに、
レベル1の「幸せ」を感じやすくした方がよいかもしれませんね。
「怠惰」は、「遺伝子」のタイプおよび子どもの頃の不十分な生育環境の結果です。
「何もできない」ということに劣等感を覚え、自分を責めないで下さい。
「怠惰」は、あなたのせいではない。じっくり少しずつ病気を治していけばよいのです。
 
そして、レベル3。幸運型の「幸せ」。
ああ、宝くじが当たればいいなぁ・・・。
そりゃあ、当たれば「幸せ」になれると思いますが、
自分の「意思」ではなんともできないのが、このレベルの「幸せ」。
「そんな「幸せ」なんか当てにしてないよ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
他者の言動一つで、人は「幸せ」になったり「不幸」になったりします。
これだって、自分の「意思」でどうこうできるものではない。
どんなに自分が笑顔を振りまいても、相手の機嫌が悪い時もあるのです。
世の中には、他者の反応に「幸せ」を依存する人が多くいます。
このような自分の「意思」ではどうすることもできない「幸せ」に依存してしまう人は、
パチンコをやめられない「ギャンブル依存症」の方々と基本は一緒です。
得られた時の「幸せ」に目を奪われ、
普段は、得られない「苦しみ」で「幸せ」を感じられなくなる危険があります。
これも、遺伝子と子どもの頃の生育環境のせいだと思います。
「幸せ」に飢えている人は、この幸運型の「幸せ」に囚われやすい。
常に親が愛情をくれるような環境でなかった時、
子どもからは理解できない理不尽な理由で子どもを傷つける親であった時、
子どもの最も欲しがっている「親の笑顔」は、
さながらパチンコ台でフィーバーを出した時のように偶然の産物になってしまうのです。
 
最後に番外編として、快楽型の「幸せ」を挙げたいと思います。
これは、「遺伝子」がお膳立てした「幸せ」です。
「睡眠」や「排泄」に伴う「幸せ」、「食欲」や「性欲」に伴う「幸せ」。
前者の「幸せ」は、ありがたく享受すればよいと思います。
前者は「遺伝子」と「心」の利害関係が一致しています。
問題は、「食欲」や「性欲」。それに「麻薬」を含めてもよいでしょう。
これらは、砂漠の蜃気楼のように追求すればするほど、実は「不幸」になります。
ずっと食べ続けている状態、
もしくはアラブの王様のようにずっと快楽として性欲を満たしている状態は
「遺伝子」にいいように操られているだけで、「心」は空虚だったりする訳です。
遺伝子のもたらす「快楽」という「幸せ」の蜃気楼に囚われることが、
多くの人の「不幸」の始まりだと、私は考えています。
 
さて、自分を「幸せ」にしてくれるものの分類結果は、上記の通りです。
これらの分類の下に、自分が「幸せ」になることのコツを考察してみたいと思います。
 
レベル1の享受型の「幸せ」を得るには、「感受性のアンテナ」を高めていくことです。
「感受性のアンテナ」は、「優しさ」を向上させれば高まります。
雑草や動物に優しい目を向ける。
太陽や自然を擬人的に感じ、暖かい日差しや涼しい風に優しい気持ちで「感謝」を覚える。
「自分」のことばかり考えていては、
この享受型の「幸せ」に気づくことが難しくなります。
 
次に、レベル2の報酬型の「幸せ」。
これは、自分の感性等の相性という要素も多分に影響する「幸せ」です。
自分にあった報酬型の「幸せ」メニューをたくさん増やすことが重要だと思います。
大事なのは、世の中一般で王道とされるメニューにこだわらないということです。
なぜなら、スタート地点の「怠惰」の強さが人によって違うから。
それに、自分の「心」と相性のよい「幸せ」は、人それぞれ違うから。
私は、ようやくこの「ブログ」という「幸せ」を見つけることができました。
ここは、各人の創意工夫が試されるところ。
自分だけの「幸せ」レシピを数多く開発しましょう。
 
最後に、レベル3の幸運型の「幸せ」。
これは、狙うだけ「不幸」になります。
自分の「意思」でどうこうできるものではありませんから。
ただし、ただしです。
自分では狙って得る事ができない「幸せ」も、
他者に与える分には、100%自分の「意思」で実現可能なのです。
すなわち相手に「与える」ことができるのが、この幸運型の「幸せ」のミソ。
この幸運型の「幸せ」の使い方はこうです。
他者に与えて他者に「幸せ」を発生させ、
自身はレベル1の享受型を利用して相手の「幸せ」をキャッチして、
自身も「幸せ」になる。
回りくどいやり方だと思いますか?
この「幸せ」は、私の中では最強レベルの「幸せ」だと感じています。
「情けは人のためならず」
「与える」「幸せ」の源泉は、ここにあると感じている次第です。
 
という訳で、「幸せ」について考察を進めてきました。
もちろん、この私の考察に対していろいろな疑問や反論を持つ方もいらっしゃるでしょう。
その疑問や反論が、「幸せ」のことを考え始める大切なきっかけになる訳です。
 
「幸せ」になりたければ、「幸せ」のことを徹底的に考察しましょう。
その過程で気づくことに、重要な人生の「意味」が隠されているのです。
 
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