「感情」のメリット・デメリット

私は今まで、「感情」は「生きる」うえでの「障害」だと思っていました。
 
なぜなら「感情」がある故に、「人」は傷つくからです。
「怒り」「楽しさ」「恐れ」から、「人」は他者を傷つける。
「怒り」「哀しさ」「恐れ」から、「人」は自分を傷つける。
 
「感情」がなければ、どんなに平和な世の中が訪れるだろうかと、
私は本気で夢想していました。
 
しかし「感情」を遠ざけるあまり、私は「生きる気力」を失っていったのです。
仕事以外の休日には、何もやる気が起きない日が続きました。
 
どうしたら他の人のように「活力」に満ちた生活を送ることができるのでしょうか?
いろいろな人のお話も聴き、私は一つの答えに辿りつきました。
「感情」は「生きる原動力」であると。
「喜び」があるからこそ「人」は自ら望んで能動的に動くし、
「怒り」を糧に臥薪嘗胆するし、「恐れ」を糧に学習する。
 
何の「感情」も持たなければロボットと一緒です。
ロボットに「生きる意味」を聞いたら、
「私を購入されたあなたのために存在します」と答えると思います。
そして「感情」が薄い人に「生きる意味」を聴いたら、
「仕事をするために生きています」と答えるのではないでしょうか?
あるいは「家族のため」?
いずれにしても、自分のためには「生きる」意味を見出せない。
 
そうして私は、「感情」のネガティブな面しか見ていないことに気づいたのです。
 
そこで私は、マインドマップという思考・創造ツールを使って、
「感情」のメリット・デメリットを洗い出すことにしました。
 
まず「感情」の定義づけです。
私は、以下の5つに分解しました。
「喜」「怒」「哀」「楽」「恐」
 
さあまずは、メリットから見ていきましょう。
(1)生きる原動力になる
 ・行動力を発揮できます←「喜」「怒」「楽」
 ・自ら動いているという能動感を感じることができます←「喜」「楽」
 ・充実感を感じることができます←「喜」
(2)集中力を発揮できる
 ・感性が研ぎ澄まされます←「喜」
(3)酔える
 ・苦痛を軽減できます←「喜」「怒」
(4)学習できる
 ・同じことを繰り返さないようになります←「恐」
(5)他者に共感できるようになる
 ・自身の経験から優しくなることができます←「哀」
 
こうして「考察」すると、
「喜」「怒」「哀」「楽」「恐」全てにポジティブな面があることがわかります。
やはり「感情」は、「生きる」うえで必要なものなのです。
「感情」のこういった面は、意識的に活用していくべきだと思います。
特に「喜」が私たちに与える恩恵は大きいですね。
 
次に、デメリットを見ましょう。
(1)視野が狭くなる
 ・「感情」に囚われすぎると合理的な判断ができなくなります←「哀」「怒」「恐」
(2)視座が低くなる
  視座とは、「誰の立場でものを見ているか?」ということです。
 ・自分もしくは身内の視座になってしまい、他者を蔑ろにする←「怒」「楽」
   「楽」だって、他者を傷つけることがあります。
   例えば、ハンティングとかは「楽」に囚われるあまり、相手の視座を失っています。
   また深夜にコンビニの前でたむろしている若者達に、
   「迷惑だなぁ」と感じたことはないでしょうか?
   自身の「傲慢」で人を傷つけるのも、「楽」によるものだと私は考えます。
 ・自分の視座になってしまい、他者を蔑ろにする←「哀」「恐」
   「恐」で人が傷つくことは多いです。
   自分の老後を心配するあまり、兄弟で相続争いをする。
   「安心」を求めるあまり、人は人を無視したり傷つけたりするのです。
   現在の競争社会においては、この「恐」による傷つけは深刻だと思います。
   芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出して下さい。
(3)活動力が低下する
 ・「感情」は生きる原動力になる一方生きる力を抑制することもあります←「哀」「恐」
(4)人を傷つける
 ・他者を傷つける←「怒」「楽」「恐」
 ・自分を傷つける←「怒」「哀」「恐」
 
「喜」以外には、ネガティブな面があることがわかります。
「喜」は問答無用で追求すべきものである一方、
「怒」「哀」「楽」「恐」には「節制」や「制御」が必要であるようです。
 
私たちは、これらの「感情」とどう向き合っていけばよいか?
「喜」「怒」「哀」「楽」「恐」に分けて考えていきましょう。
 
(1)「喜」(イメージ「光」
  「喜」こそが「人生」の「味わい」「生きる意味」。
  「人生」において、「発見」して「追求」して「継続」するべきものだと思います。
(2)「怒」(イメージ「火」
  「怒」は「生きる」うえで役にも立つが、制御できないと大火事になることも。
  「理性」を働かせて、常に視野を広く視座を高く管理する必要があるように思います。
(3)「哀」(イメージ「水」
  「哀」は、あまり浸りすぎると溺れてしまいます。
  そこから這い上がれるように努力する必要があると思います。
(4)「楽」(イメージ「気」
  「楽」は、ムードです。「楽」は突然やってきて突然去っていくもの。
  「楽」の状態であっても浮かれすぎてはいけないような気がします。
  また「楽」は「空気」のようなものなので、追い求めすぎるのもどうかなと。
  「楽」よりは、「心」を揺さぶる「喜」の方を追い求めるべきだと考えます。
(5)「恐」(イメージ「闇」
  「恐」は、目の前に広がる障害です。
  現時点の自分では、どうしようもない力を持っています。
  「闇」は、見据えて慣れて克服するか、考えて移動して脱するか、しかないと思います。
 
なんだか今日はものすごい長い文章になってしまいましたが、
「感情」への接し方を「考察」したところで、
最後に「感情」の「意味」を自分なりに導き出したいと思います。
 
私は、「感情」には以下の4つの意味があると考える次第です。
(1)味わうもの
  私たちは五感を持っています。
  「光」を「目」で感じ、「臭い」を「鼻」で感じとる。
  そして「人生」は、「感情」で味わうものなのだと考えます。
  「味」を感じられなければ「食事」をとる「意味」がないように、
  「感情」がなければ「人生」を生きる「意味」がないと思うのです。
(2)生きる原動力
  「世界」は、私たち「生命」にとって非常に厳しいもの。
  しかし、そうした過酷な環境の中でも、
  「感情」は私たちに、挑戦して行動するエネルギーを供給してくれます。
(3)制御するもの
  上記で考察したとおり、「感情」は制御する必要があります。
  「心」の「成長」とは、この制御を学ぶことではないでしょうか。
(4)他者とつながるツール
  他者にも自分と同様の「感情」があることを知ることで、
  初めて人は、他者に「共感」し、他者に「優しく」ふるまえるのだと思います。
 
以上、今までずっと正体不明だった「感情」に対する「考察」でした。
う〜ん、だいぶ「感情」についての理解が進みました。
 
「感情」は制御しつつも、育むものなのでしょう。
これからはしっかりと、「感情」を育んでいきたいと思います。
 
次回のブログは、「感情」の育み方の「考察」です。
 
(最後に、今回のブログを描く際に描いたマインドマップをアップします)