ワクワク、愛する

私は、口頭でのコミュニケーションは得意ではありません。
 
しかし、伝えたいこと、発信したいことは、山ほどあるのです。
 
押しつけではなく。
誰かを自分の思想に染めようと言うのでもなく。
 
発見したものを「見て!見て!」と親にねだる子どものように、
一緒に「へ〜、すごいね」って言ってもらいたくて。
 
「世界」のワクワクを、一緒に共有したくて。
 
口べたの私でも文章で表現できる、このインターネットを使って。
私は、皆に伝えたい。
 
というか、
おそらく「世界」のワクワクを伝えようとする時に、
誰であれ、それを口頭で伝えることは非常に困難なことだと考えます。
 
口頭の場合は、その場の流れがある訳です。
日常の会話をしているときに、
「そういえば、ヒガンバナってあれ全部クローンなんですよ」って、
話をぶった切る訳にはいきません。
 
私は自分のことを、アスペルガー気味だとは思いますが、
それでもいきなりヒガンバナの話ができないというくらいには、
場の雰囲気を読めるつもりです。
 
ヒガンバナの話をするためには、
せめて会話のテーマが花の話に変わるのを待つ必要があります。
しかし、「世界」のワクワクを発信したくて仕方ない私にとっては、
そんなにチンタラと待てない訳です。
 
それから日常では、
「世界」のワクワクに興味を持ってくれる人自体が少ないということもあります。
もちろん、しっかり伝えれば皆興味を持ってくれると信じていますが、
「世界」のワクワクは、話を聞く人にとって地味な話題であり、
話の内容によっては、事前説明から入る必要もある訳で、
なかなか話の核心まで辛抱強く聞いてくれる人も少ないでしょう。
 
その点、文章で表現する場合には、
そういった事前説明も含めて、
継続して興味を持ってもらえるように、
時間をかけて工夫することができます。
 
ブログというものが世の中に現れて、
ようやく私は自分のしたいことをできるようになったのです。
「世界」のワクワクを発信するためなら、
一つの記事を描くのに1時間や2時間使うことも苦ではありません。
 
私のブログを読んで、
一緒にワクワクしてくれる人がいることが、心から嬉しいのです。
 
興味を持つということは、その対象を受け入れることにつながります。
「愛の反対は無関心」とマザー・テレサは言いましたが、
誰からも興味を持たれていない状態は、とても孤独です。
 
「世界」に興味を持てば、
それはその人の「愛」が「世界」に注がれていることになります。
そして「世界」もまた、その人に「愛」を返してくれるに違いないのです。
 
例えば職場で、
「休みを取れていますか?」とか、私のことを気にしてくれる人がいます。
やはりそこには「愛」を感じるのです。
キリスト教で言うところのエロスでなくアガペーの方です)
私もその人に対して、休みを十分にとって健やかであって欲しいと願うようになります。
 
同じように、「世界」に「愛」を向ければ、「世界」が「愛」を返してくれる。
そういう関係性を創れると、「心」は孤独でなくなると考える次第です。
 
私達は、「世界」と共にある。
何もない宇宙空間のことを想えば、私達の住む環境はなんと奇跡的な環境なんでしょう。
 
是非、私達と共にある「世界」のことを、もっと身近に感じてあげたいと、私は想います。