時間の幸せな使い方

告白します。
私は、昨日の夜のブログ更新と腹筋・腕立て、
それから今朝の皇居ウォーキングをサボりました。
 
1月10日くらいから積み上げてきたよい一日のリズムが、
昨日、一気に崩れてしまったのです。
 
リズムを崩してみて分かったことは、
リズムを崩した時間は苦しくて幸せじゃないということ。
 
昔は、頑張ることが苦しくて、
ダラダラしている方が楽で幸せだという思いが
心のどこかにありました。
 
しかし、2週間ほど、よい一日のリズムを続けた結果、
よい一日のリズムを刻むことの心地よさを知ってしまったようです。
リズムを崩すことが思いのほか苦しかったので、
このブログを書くとこから、再び幸せのリズムを刻み始めようと思います。
 
さて、過去のブログで「Time is life.」という話をさせて頂きました。
幸せな人生を送るためには、
目の前の一日を幸せに過ごすことが大切で、
幸せな一日を過ごすためには、
目の前の時間を幸せに使うことが大切であると。
 
では、目の前の時間を幸せに使うとはどういうことなのか。
今回の私の経験からも分かるとおり、
無目的にダラダラ時間を過ごすことは、幸せな時間の使い方ではありません。
そうではなくて、自身の成長や発揮のために時間を使うことが、
時間を幸せに使うことなのだろうと思っています。
 
例えば・・・
自身の成長や発揮のために、「ダイエットする」「読書する」「親しい仲間と語らう」
「創造的に仕事をする」「質の高い休息をとる」「音楽を奏でる」etc.
上記のようなことで目の前の時間を幸せに使っている人の人生は、
幸せな時間で構築されていくんだと思います。
 
逆に、自分のためではなく会社のために無理をして、仕事に邁進することは、
そのことがどんなに他者から褒められたとしても、
その時間の使い方は不幸であると言ってしまってよいと思います。
極端な話、上記のようにわが身を捧げて仕事に没頭した結果、
1ヵ月後に過労死してしまったとして、
果たしてその人にとって最後の1ヶ月の人生は本当に幸せであったのかどうか。
 
上記と同様の仕事であっても
自分にプラスになるような方法でその仕事を行うのであれば、
それは他者のためではなく「自分のために」仕事をしているので、
その仕事を行っている時間は幸せに使われていることになります。
そして、「自分のために」仕事をしているのであれば、
他者や組織の意思を優先して過労死するような無茶な仕事はしなくなると思います。
また、仕事をある程度選べる職場ならば、
「自分のために」なる仕事を優先して選択していくことが大切です。
 
目の前の時間は、砂時計の砂のようにどんどん下に落ちていきます。
もったいないから、是非目の前の時間をいとおしんで幸せに使っていきましょう。
そして注意が必要なのは、下に落ちた砂はなくなる訳ではないということです。
下に落ちた砂は、下のガラスの器に移り、
あなたの人生そのものを構築していくということをどうか忘れないで下さい。
 
さて、私もこれから寝る前の腹筋と腕立てを始めようと思います。
腹筋と腕立てをしたこの時間は、きっと私の人生の素敵な一部となるでしょう。
もちろん、このブログを書いていた時間も、私の人生の素敵な一部です。