弱いもの達が夕暮れ、さらに弱いものをたたく

この言葉にピンと来る人は、私の同年代かな。
ブルーハーツの「トレイントレイン」という曲の一節です。
学生時代に、よくカラオケで歌いました。
 
(知らない人や忘れてしまった人のために、出だしの歌詞をちょっとご紹介)


栄光に向かって走る あの列車に乗っていこう

裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう

弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく

その音が響き渡れば ブルースは加速して行く

見えない自由が欲しくて

見えない銃で撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ
 
私は、ブルーハーツ中島みゆきさんのファンです。
両者とも、とても「優しい唄」を歌われるから。
 
さて、この「トレイントレイン」。
「弱いものが夕暮れ、さらに弱いものをたたく」
なぜか、このフレーズが頭に残っています。

理由はわからないけど、何か心にひっかかっているのでしょうね。
こういったフレーズは、日常生活の何かがきっかけとなり、
ふと頭に思い浮かぶことがあります。
そういうフレーズは、最近ブログのネタメモに記録するようになりました。
 
弱いものが、さらに弱いものを叩くという風景。
多くの人が陰鬱な好ましくない印象を抱くのではないでしょうか?
しかし、その前に来る歌詞は、
「栄光に向かって走る あの列車に乗って行こう
 裸足のままで飛び出して あの列車に乗って行こう」
なんだか、とても前向きな好ましい意味に感じます。
カラオケで歌っていた当時も、アップテンポのメロディだったこともあり、
この部分、のりのりで歌っていたものです。
 
しかし、待てよ。「栄光」?「裸足のままで飛び出す」?
 
「栄光」とは「大きな名誉」のこと。
そして「名誉」とは、人から羨望の眼差しで見られることですよね。
つまり、世の中で「特別」な存在となることだと言えます。
だとしたら、
本当は、それぞれ一人ひとりが
自分がこの「世界」で一番「特別」な存在であることを理解したら、
「栄光」なんて必要ないかもしれない。
気づいていますか?
自分がこの「世界」で一番愛すべき「特別」な存在であることを。
 
それから、「栄光と○○」という形で、いつもセットで使われる言葉があります。
それは、「挫折」「凋落」「転落」。
試しに「栄光と」で検索してみて下さい。
必ず「栄光」の後には、「苦しみ」がついて回るようです。
どうやら、ずっと「栄光」の状態であり続けることは難しいのかもしれない。
そして、「栄光」が去ると訪れるのは・・・
 
一体全体、「栄光」のために「裸足のままで飛び出す」ほどの価値があるのでしょうか。
大体「栄光に向かって走るあの列車」の向かう先には、一体なにがあると思いますか?
多くの人が何も考えずに列車に飛び乗っているようですけど。
 
そして、続くフレーズがこれです。
「弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく
 その音が響き渡れば ブルースは加速して行く」
 
最初の「弱いもの」とは、電車に乗れずに「転落」した人達のこと?
もしくは、列車にうまく乗り込んだけど途中で「転落」した人達のこと?
「栄光」を掴もうとすればするほど、
また「栄光」を掴んでしまったら掴んでしまった分だけ、
「転落」してしまった時の「苦しみ」は大きいのでしょう。
 
「栄光」を追い求める者たちや「栄光」から「転落」した者たちが、
自身の「苦しみ」を他者に転嫁しているのでしょうか?
それは、「苦しみ」の「源泉」がわからないから、八つ当たりをしているだけ。
「苦しみ」の「源泉」は、「栄光」を追い求める自分自身にあるのに・・・
 
そして今の社会において、「栄光」を追い求めるのは「個人」だけではありません。
「個人」よりも、より顕著に明け透けに当然のごとく「栄光」を追い求める集団があります。
それが、「会社」です。
もちろん、全ての「会社」とは言いません。
中には、従業員の「幸せ」を第一にしている会社がありますから。
ただ、多くの会社では、会社や経営者が「栄光」を享受するために、
従業員側が「苦しみ」を負担しています。
自分の「人生」という大切な「時間」のほとんどを差し出し、
そんなに大切なものを差し出してくれているのに、
社長が部長を、部長が課長を、課長が社員をたたくような、そんな悲しい連鎖図。
 
「ブルース」とは、米国深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽のひとつです。
そして、ロックンロールのルーツの一つとしても知られています。
(ブルースのウィキペディアこちら
 
アフリカ系アメリカ人の方々は、
アフリカ大陸から連れ出され、
無理矢理「栄光に向かって走るあの列車」に乗せられました。
しかも、「栄光」はヨーロッパからの移民が享受し、
そのための「苦しみ」のみを負担させられるような列車に。
 
「栄光」という幻想の光に目がくらんだ「心」の弱い者達が、
さらに弱い立場の者をたたく夕暮れ。
その音が響き渡れば 「ブルース」は加速していきます。
 
当時のアフリカ系アメリカ人は、奴隷という待遇であり、
もちろん「自由」なんてありませんでした。
「ブルース」とは、
そんなアフリカ系アメリカ人が「自由」を求める
強烈な「想い」もしくは「心」の叫びでした。
 
しかし「自由」がないのは、「栄光」に目がくらんだヨーロッパからの移民も一緒。
なにしろ、今乗っているのは、自動車でも船でもなく「列車」なのですから。
一本道のレールで、全ての乗組員が同じ場所に連れて行かれます。
 
「栄光」に目がくらんだ当人達は、
なぜ自分達の「自由」がこんなに少ないのかわからない。
もちろん、理由は「栄光に向かって走るあの列車に乗って」しまったからなのですが。
 
そして、「自由」なんて、実は「栄光」から目を背ければどこにだってあります。
ただ「栄光」に目がくらんで、見えなくなっているだけ。
 
「見えない自由が欲しくて
 見えない銃で撃ちまくる」
 
「栄光」に目がくらみ、
例えば会社の「栄光」のためなら、他者を傷つけてもよいという風潮。
んな訳ないじゃないですか?
「あの列車に乗って」しまった人なら当たり前と思うかもしれませんが、
例えば、失敗した人や能力不足の人を責めることは、
その人の「心」を銃で撃っているようなものです。
もちろん、実弾が跳ぶ訳ではありません。
しかし、見えない弾だからと言って、当然のごとく罪悪感を感じないことは異常です。
ああ、私だって、今まで、当然のごとく撃たれ、当然のごとく撃ってきました。
 
どれだけ多くの人が「見えない銃」で撃ち、
どれだけ多くの人が「見えない銃」で撃たれているのでしょう。
「あの列車」の中は、戦場と変わりません。
戦場とは、人を撃つことが当たり前の「世界」なのですから。
 
ねえ、あなたは本当に「栄光に向かって走るあの列車」に乗っていたいですか?
 
「本当の声を聞かせておくれよ」
 
 
(参考)
トレイントレインの全歌詞はこちら
そして、以下はユーチューブです。

 
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