「ご縁」の(きっと)正しい使い方

過去ブログでも述べていますが、私は「ご縁」を大切にします。
64億人も人類がいる中で、たまたま私の「人生」に登場してくれた人達。
 
そこには、きっと何か「意味」がある。
もしくは、その「ご縁」に「意味」を付けることこそが、
自身の「人生」を紡ぐ行為に他ならないのだと、私は考える次第です。
 
さて、「ご縁」には2種類あると、私は考えています。
それは、「与えるご縁」と「頂くご縁」です。
 
例えば、営業マンがお客様を回り、新規受注を目指す。
これは、「頂くご縁」を求める行為です。
現代社会においては、
この「頂くご縁」をいかにして手に入れるかが、企業や会社員の大きな課題となっています。
 
一方、現代社会において忘れられがちなのが「与えるご縁」の方です。
ネイティブアメリカンアイヌのような自然と一体の先住民達には、当たり前の文化。
目の前に「困っている人」が現れたら、自分のことのように「与える」ことができる人達。
 
私は最近気づきいたんです。
私が今まで認識していた「ご縁」には、実はこの2種類が存在するんだと。
 
そこで、今日深く突っ込んで描きたいと思ったのが、「与えるご縁」なのです。
 
私は今まで、「与えるご縁」を多少は活かしてこれたと思っています。
私の「人生」で出会った「困っている人々」。
彼らの中の幾人かには、多少は「与える」ことができたかなと感じています。
また、コンサルタントの仕事においても「ご縁」ができた人達には、
「与えるご縁」として精一杯貢献をさせて頂けたと考える次第です。
 
ところで私は、子供の頃から「人間関係が苦手」でしたので、
ずっと「人」とのつながりを渇望していました。
しかし、求めていたのは「頂くご縁」のみ。
「与えるご縁」なんて、全く考慮していませんでした。
今から考えると、自分勝手な話だと思います。
 
「人間関係が苦手」ってことは、
要は、話術や雰囲気等人を惹きつける力が弱いということ。
そんな人間が「頂くご縁」を集めるのは、はっきり言って不可能です。
 
ですが、「頂くご縁」をうまく捕まえられない人は、
その代わり「与えるご縁」に気づけるチャンスを有しています。
 
実際、「頂くご縁」を集める才能は「仕事」に役立ちますが、
「与えるご縁」も実はなかなか「仕事」の役に立つんですよ。
もちろん、活用の場面は異なりますが、
「信」が重視される仕事では、
「与えるご縁」という「無償の愛」が大きく力を発揮するのです。
 
また、決して意図して行っている訳ではありませんが、
結果的に「与えるご縁」は自分への「追い風」として帰ってきます。
 
例えば、あるお客様から私は仕事上で大きな「追い風」を頂いています。
そのお客様は、猛烈に私のコンサル業務を他の同業者に宣伝して頂き、
その結果有り難いことに私はいくつかの受注を頂いているのです。
「頂くご縁」を集める「才能」をお持ちの方が短距離スプリンターなら、
「与えるご縁」に気づけた人は、長距離走者だと思います。
どちらも、それぞれの持ち味を「武器」に生きていくことができる。
 
それから、それはプライベートの「人生」においても同様だと思います。
「頂くご縁」を集める人は、短期的にとても「幸せ」になるでしょう。
だけど、どこかで自身の成長がないとブレークスルーがない。息が切れる。
対して、「与えるご縁」に気づいた人は、最終的に「信頼」できる人達に恵まれます。
本当の「信」は、「与えた」先にしかないものですから。
 
ということで、今日私が言いたかったのは「与えるご縁」のお話。
今まで目の前に、「困っている人」が現れたことがありますか?
その人達を、何の見返りも考えずに助けたことがありますか?
 
「頂くご縁」にどっぷりと浸かっている人々には、
奇異にしか見えない「与える」という行動。
 
だけど、少しだけ先を進んでいる私が保証します。
「与えるご縁」に気づき、その「ご縁」を活かしていくことができれば、
「笠地蔵」のおとぎ話のように、きっとあなたの周りには「幸せ」が集まってくると。
一方、「頂くご縁」を集めすぎると「心」の負債が増えてきて、
相手から何か見返りを求められたり、段々「心」が窮屈になってくるはずです。
 
少しずつ勇気を出して「与えるご縁」と手をつなごう。
「与えるご縁」に目覚めたら、
「与えるご縁」に気づいている人々を察知できるようになります。
そうして、あなたも「貸し借り」のない「与える世界」の仲間入りができるのです。